いつ 死んでもいい
【雑草ポエム 第684話】
それは、全てにおいて『規格外』のレスラーでございました。
その男の名は、アンドレ・ザ・ジャイアント。
フランス・グルノーブルの出身で、パリの家具運送会社で働いていたところをスカウトされ、1965年にプロレスラーとしてデビューを果たしました。
身長2m23cm、体重236kgという化け物は、『人間山脈』というふれ込みをバックに新日本プロレスへ戦場を移すやいなや、『一人民族大移動』やら『現代のガリバー旅行記』などと、当時の人気アナウンサー『古館伊知郎』氏に、言われ放題の人気者となりました。

でかい…、とにかく全てが規格外。
巨人症という病気持ちとは申せ、日本のマットに一たび上がれば、身長190cmを超える燃える闘魂アントニオ猪木が小人に見え、身長209cmの大巨人、ジャイアント馬場とタッグを組めば、付いた名称が『摩天楼コンビ』。
アンドレと申しますれば、やはり酒にまつわる『規格外な』エピソードが数多くございます。
『新日本プロレスがブラジル遠征を行った際、飛行機の機内にあったビールを全て一人で飲み干し、他の乗客からクレームが出た』
『車で800km移動する間に、缶ビールを118本飲み、さらに到着後19リットルのワインを飲み干した』
『タンパ空港で待機中、50分間でビール108本を空け、その後のバス移動の2時間半で、ワインを1ダース空けてしまった』
『札幌巡業の際、サッポロビール園で大ジョッキ89杯を空けた』
『ペンシルベニア州リーディングのホテルのバーで、ビール327本を一晩で空けた』
『日本での試合の時は、移動中に大量の白ワインを飲んだあげく、会場入りしてからも試合前にビールを4ケース空け、試合後には決まって日本酒を2升飲んでいた』等々…
そんなアンドレも、晩年、酒量は更に増え続け、どこへ行くにもワインを手放せない中毒状態となり、体重も275kgまで増え、40歳になったばかりで歩行すらままならない状態にまでなっておりました。
『十分にこの人生を楽しんだ。 オレはいつ死んでもいい…』
晩年の彼は、よくそう語っておりましたが、これは『生きる』ということを満喫した者だけが語れる、とても素晴らしい台詞だと思っております。
1993年1月27日、父親の葬儀のためフランスに帰国中、パリのホテルで倒れ、アンドレはそのまま息を引き取りました。
死因は急性心不全、まだ46歳の若さでございました。
『オレはいつ死んでもいい…』
この台詞が、どうにも愛おしく思えてならない今日この頃。
今まで必死で生きて参りましたが、『必死』とは、読んで字のごとく…『必ず死ぬ』ためだけに、オレは今まで頑張ってきたわけでございます故…。
『十分にこの人生を楽しんだ。 オレはいつ死んでもいい…』
(アンドレ・ザ・ジャイアント)
私も、かくありたく。
by 桜川
それは、全てにおいて『規格外』のレスラーでございました。
その男の名は、アンドレ・ザ・ジャイアント。
フランス・グルノーブルの出身で、パリの家具運送会社で働いていたところをスカウトされ、1965年にプロレスラーとしてデビューを果たしました。
身長2m23cm、体重236kgという化け物は、『人間山脈』というふれ込みをバックに新日本プロレスへ戦場を移すやいなや、『一人民族大移動』やら『現代のガリバー旅行記』などと、当時の人気アナウンサー『古館伊知郎』氏に、言われ放題の人気者となりました。

でかい…、とにかく全てが規格外。
巨人症という病気持ちとは申せ、日本のマットに一たび上がれば、身長190cmを超える燃える闘魂アントニオ猪木が小人に見え、身長209cmの大巨人、ジャイアント馬場とタッグを組めば、付いた名称が『摩天楼コンビ』。
アンドレと申しますれば、やはり酒にまつわる『規格外な』エピソードが数多くございます。
『新日本プロレスがブラジル遠征を行った際、飛行機の機内にあったビールを全て一人で飲み干し、他の乗客からクレームが出た』
『車で800km移動する間に、缶ビールを118本飲み、さらに到着後19リットルのワインを飲み干した』
『タンパ空港で待機中、50分間でビール108本を空け、その後のバス移動の2時間半で、ワインを1ダース空けてしまった』
『札幌巡業の際、サッポロビール園で大ジョッキ89杯を空けた』
『ペンシルベニア州リーディングのホテルのバーで、ビール327本を一晩で空けた』
『日本での試合の時は、移動中に大量の白ワインを飲んだあげく、会場入りしてからも試合前にビールを4ケース空け、試合後には決まって日本酒を2升飲んでいた』等々…
そんなアンドレも、晩年、酒量は更に増え続け、どこへ行くにもワインを手放せない中毒状態となり、体重も275kgまで増え、40歳になったばかりで歩行すらままならない状態にまでなっておりました。
『十分にこの人生を楽しんだ。 オレはいつ死んでもいい…』
晩年の彼は、よくそう語っておりましたが、これは『生きる』ということを満喫した者だけが語れる、とても素晴らしい台詞だと思っております。
1993年1月27日、父親の葬儀のためフランスに帰国中、パリのホテルで倒れ、アンドレはそのまま息を引き取りました。
死因は急性心不全、まだ46歳の若さでございました。
『オレはいつ死んでもいい…』
この台詞が、どうにも愛おしく思えてならない今日この頃。
今まで必死で生きて参りましたが、『必死』とは、読んで字のごとく…『必ず死ぬ』ためだけに、オレは今まで頑張ってきたわけでございます故…。
『十分にこの人生を楽しんだ。 オレはいつ死んでもいい…』
(アンドレ・ザ・ジャイアント)
私も、かくありたく。
by 桜川
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