さらば、ミスターオートレース
【雑草ポエム 第673話】
今から30年ほど前のこと…
私がオートレースという『エキサイティング・マシンスポーツ』の存在を知り、興味を持ち始めた頃の絶対王者(第一人者)が『飯塚将光』選手でございました。
オートレースは戦後の復興を目的とし、昭和25年から現在に至るまで全国6か所のオートレース場にて開催されておりますが、飯塚将光選手は第9期生として、船橋オートレース場をフランチャイズとして活躍しておりました。
飯塚将光…
人呼んで『ミスターオートレース』と申します。

期前の先輩選手には、『オートの神様』として全国にその名を轟かせた『広瀬登喜男』というダート走路時代の超人がおりましたが、その名選手を押し退けて『ミスター』という称号を得ていたのも、飯塚将光選手の凄さを思い知ることができます。
強い…兎にも角にも強かった。
スタート良し、イン良し、マクリ良し! 晴れ良し、雨良し、強風良し! 整備力良し、顔良し、風格良しという、オートレーサーとしては正にパーフェクトな天才、非の打ちどころのない飯塚将光選手でございました。
そんな飯塚選手も、今年2月に63歳を迎えており、若手の台頭や動体視力の衰え等はいかんともしがたく、かつての輝かしい栄光はすっかり影を潜めてしまったことは、止む無き現状だと思っておりました。

しかしながら、ご本人は生涯現役に拘ることを明言しており、長く走り続けることもプロとしての役目であると自らを奮い立たせ、危険と隣り合わせのオートレースに果敢に挑むミスターに、多くの熟年ファンが勇気付けられていたことか。
ところが…
先月、突然の引退発表には、多くのファンを驚かせました。
『実は、ちょっと病気になっちゃってね…。 もう走れないんだ…。 残念だよ、本当に…』
その『病気』とは何だったのか、その時には知る由も無かった私でしたが、あのミスターオートレースの引退を素直に受け入れる事ができず、最後の雄姿を目に焼き付けてこようと、昨日行われました引退セレモニーへ行って参りました。
↓第8レースの終了後、颯爽と場内に現れたミスターに場内のファンが大拍手!

実はこの時もかなりの体調悪化を訴えており、控室では若手に手を貸してもらわなければ動く事もままならない程であったそうでございます。
しかし…
勝負服を身に付け、バイクに跨ったとたんに背筋がピンと伸び、生き生きとした顔色に戻っていったとは、何と言うレーサー魂でございましょうか。
↓とても病人とは思えない、実に素晴らしい笑顔でファンに別れを告げるミスター。

↓船橋所属の従事員の方々も、温かくミスターを見送ります。

↓そしてこの日は大勢のファンが集結し、ミスターとの別れを惜しんでおります。

↓選手会を代表し、高田支部長がミスターに感謝状を読み上げました。

↓そしてミスターを陰で支えた奥様が花束を…、この時スタンドが沸きました。

↓そしてミスターオートレース、飯塚将光選手の最後のご挨拶が…。

『42年も頑張れたのは、ファンの皆さんの温かい声援のおかげです。私にとってオートレースは人生そのものでした。(中略)ファンの健康と幸せを祈ります(中略) どうか オートレースが これからも続くように 応援してください』
私は感動で思わず胸が熱くなりました。
しかし、その直後のこと…!
私の隣に立っていた中年の男性が、誰かに向ってポツリと一言つぶやきました。
『飯塚はよぉ、癌なんだってな…』
バカな…! 私は耳を疑いました。
しかしながら、バイクに乗っている時のミスターは生き生きしておりましたが、降りたとたんに精気が無くなり、顔はげっそりと痩せこけており、それこそ立っているのがやっとの状態に見えました。
引退表明から僅か1ヵ月たらずで、ここまで身体を蝕む病気とあらば、やはり中年紳士のつぶやきも否定できないような気もいたします。
『イイズカー、ありがとー!』
『イッイズカー、 イッイズカー、 イッイズカー…』
オートレース場とすれば大変珍しいことに、場内の観衆から手拍子と『飯塚コール』が沸き起こりました。
↓このサプライズに感極まり、思わず涙ぐむミスターに、私も涙が止まらない。

↓ラストはオープンカーに乗り、場内を2周してファンとお別れをいたしました。

どのような競技・団体におきましても、『ミスター』と称される偉大な方々は有名人ばかりなり。
ミスター・ジャイアンツの長嶋茂雄さん、ミスター・メイの秋山幸二さん、ミスター・ヤンマーの釜本邦茂さん、ミスター・柔道の山下泰裕さん、ミスター・ケイリンの中野浩一さん…等々。
しかし、オート界のミスターはマイナー競技であるが故に、その誰よりも知名度は低く、スポーツ紙での取り扱いも腹が立つほど粗末なものでございました。
↓しかし、我がミスター・オートレースは永遠に不滅でございます。

飯塚さん、本当にお疲れさまでございました。
長きに亘り、沢山の夢をありがとうございました。
願わくば…
願わくば…
大病と言う最強の敵を、得意の速攻からの火の玉マクリで粉砕し、またオートレースを優雅に語っていただきたいと切に願っております。
名車『トライアンフ』を操る貴方は本当に本当に強かった。
ベル・ホージョウ(車名)は永遠なれ!
by 桜川
今から30年ほど前のこと…
私がオートレースという『エキサイティング・マシンスポーツ』の存在を知り、興味を持ち始めた頃の絶対王者(第一人者)が『飯塚将光』選手でございました。
オートレースは戦後の復興を目的とし、昭和25年から現在に至るまで全国6か所のオートレース場にて開催されておりますが、飯塚将光選手は第9期生として、船橋オートレース場をフランチャイズとして活躍しておりました。
飯塚将光…
人呼んで『ミスターオートレース』と申します。

期前の先輩選手には、『オートの神様』として全国にその名を轟かせた『広瀬登喜男』というダート走路時代の超人がおりましたが、その名選手を押し退けて『ミスター』という称号を得ていたのも、飯塚将光選手の凄さを思い知ることができます。
強い…兎にも角にも強かった。
スタート良し、イン良し、マクリ良し! 晴れ良し、雨良し、強風良し! 整備力良し、顔良し、風格良しという、オートレーサーとしては正にパーフェクトな天才、非の打ちどころのない飯塚将光選手でございました。
そんな飯塚選手も、今年2月に63歳を迎えており、若手の台頭や動体視力の衰え等はいかんともしがたく、かつての輝かしい栄光はすっかり影を潜めてしまったことは、止む無き現状だと思っておりました。

しかしながら、ご本人は生涯現役に拘ることを明言しており、長く走り続けることもプロとしての役目であると自らを奮い立たせ、危険と隣り合わせのオートレースに果敢に挑むミスターに、多くの熟年ファンが勇気付けられていたことか。
ところが…
先月、突然の引退発表には、多くのファンを驚かせました。
『実は、ちょっと病気になっちゃってね…。 もう走れないんだ…。 残念だよ、本当に…』
その『病気』とは何だったのか、その時には知る由も無かった私でしたが、あのミスターオートレースの引退を素直に受け入れる事ができず、最後の雄姿を目に焼き付けてこようと、昨日行われました引退セレモニーへ行って参りました。
↓第8レースの終了後、颯爽と場内に現れたミスターに場内のファンが大拍手!

実はこの時もかなりの体調悪化を訴えており、控室では若手に手を貸してもらわなければ動く事もままならない程であったそうでございます。
しかし…
勝負服を身に付け、バイクに跨ったとたんに背筋がピンと伸び、生き生きとした顔色に戻っていったとは、何と言うレーサー魂でございましょうか。
↓とても病人とは思えない、実に素晴らしい笑顔でファンに別れを告げるミスター。

↓船橋所属の従事員の方々も、温かくミスターを見送ります。

↓そしてこの日は大勢のファンが集結し、ミスターとの別れを惜しんでおります。

↓選手会を代表し、高田支部長がミスターに感謝状を読み上げました。

↓そしてミスターを陰で支えた奥様が花束を…、この時スタンドが沸きました。

↓そしてミスターオートレース、飯塚将光選手の最後のご挨拶が…。

『42年も頑張れたのは、ファンの皆さんの温かい声援のおかげです。私にとってオートレースは人生そのものでした。(中略)ファンの健康と幸せを祈ります(中略) どうか オートレースが これからも続くように 応援してください』
私は感動で思わず胸が熱くなりました。
しかし、その直後のこと…!
私の隣に立っていた中年の男性が、誰かに向ってポツリと一言つぶやきました。
『飯塚はよぉ、癌なんだってな…』
バカな…! 私は耳を疑いました。
しかしながら、バイクに乗っている時のミスターは生き生きしておりましたが、降りたとたんに精気が無くなり、顔はげっそりと痩せこけており、それこそ立っているのがやっとの状態に見えました。
引退表明から僅か1ヵ月たらずで、ここまで身体を蝕む病気とあらば、やはり中年紳士のつぶやきも否定できないような気もいたします。
『イイズカー、ありがとー!』
『イッイズカー、 イッイズカー、 イッイズカー…』
オートレース場とすれば大変珍しいことに、場内の観衆から手拍子と『飯塚コール』が沸き起こりました。
↓このサプライズに感極まり、思わず涙ぐむミスターに、私も涙が止まらない。

↓ラストはオープンカーに乗り、場内を2周してファンとお別れをいたしました。

どのような競技・団体におきましても、『ミスター』と称される偉大な方々は有名人ばかりなり。
ミスター・ジャイアンツの長嶋茂雄さん、ミスター・メイの秋山幸二さん、ミスター・ヤンマーの釜本邦茂さん、ミスター・柔道の山下泰裕さん、ミスター・ケイリンの中野浩一さん…等々。
しかし、オート界のミスターはマイナー競技であるが故に、その誰よりも知名度は低く、スポーツ紙での取り扱いも腹が立つほど粗末なものでございました。
↓しかし、我がミスター・オートレースは永遠に不滅でございます。

飯塚さん、本当にお疲れさまでございました。
長きに亘り、沢山の夢をありがとうございました。
願わくば…
願わくば…
大病と言う最強の敵を、得意の速攻からの火の玉マクリで粉砕し、またオートレースを優雅に語っていただきたいと切に願っております。
名車『トライアンフ』を操る貴方は本当に本当に強かった。
ベル・ホージョウ(車名)は永遠なれ!
by 桜川
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