日下開山(YOKOZUNA)
【雑草ポエム 第672話】
日下開山(ひのしたかいさん)とは、大相撲の最高位(横綱)に相当する力士に与えられた名誉・称号としての呼称でございます。
日下はとは天下、開山とは寺の開祖。
宗教の権威者を意味したところから、『日下開山』は無双の優れた者の代名詞となったそうでございます。
その後、江戸中期のころまで強豪力士を『日下開山』と呼び、江戸後期には『横綱免許』を受けた『大関』をさすようになり、明治の頃になってようやく『横綱』の別称として定着したのでございます。

誰が何と申しましょうと、相撲は日本の伝統文化、国技そのものでございます。
日本相撲協会という名の元におきまして、桃色の巨人(力士)同士が相撲の聖地(国技館)で相対し、不動の平衡が出来上がり、やがて足がからみ、やがて帯と肉の間に指がもぐり、まわしの下がりが逆立ち、筋肉が膨れ上がり、足が土俵に根を下ろし、血が皮膚に上り、土俵一面を鮮やかな薄桃色に染めるもの…でございます。
『江戸の大関より土地の三段目(を応援する)』
それこそが日本国民の心であり、大相撲の楽しみ方ではなかったのか?

気が付きますれば、1998年の7月場所にて『若・貴ブーム』の火付け役である第66代横綱(若乃花)が誕生して以来、15年もの間、日本人の『日下開山』が誕生しておらず、それどころか『幕内最高優勝』すらも、2006年1月場所の栃東以来、なんと7年半(45場所)もの間、日本人力士が天皇賜杯を抱く事が出来ていないという事実。
国技館に掲げられている優勝色彩写真額(全36枚)は、全て外国人力士一色に染まり、これはもう異常中の異常であり、非常事態もいいところでございます。

私はけっして外国人力士を否定しているわけではございませんが、大相撲の本場所は日本国内でしか行われておらず、興行という意味におきましても、日本人力士の躍進・活躍は絶対に不可欠なのでございます。
大相撲の人気を支えたスター力士が衰えて引退を決意する頃になりますと、不思議と次なるヒーローが頭角を現し、世代交代で人気を継続できていたものでございます。
栃・若の後には大鵬が…、大鵬の後には貴ノ花が…、貴ノ花の後には千代の富士が…、そして千代の富士の後には貴乃花(2代目)が…、という具合に。

しかし…
貴乃花の後に大相撲界を牛耳ってくれたのが『朝青龍』という名の鬼将軍であり、これが日本大相撲の長い歴史におきまして、観客動員数が半減してしまう大きな原因となってしまいました。
モンゴル国籍の朝青龍は負けん気が人一倍強く、それがために厳しい稽古にも耐え忍び、異国の地で人の10倍もの猛稽古を連日行ったという根性・努力は、誰しもが認めるところでございます。
しかしながら、彼の頭は勝てば官軍!

土俵で敵無しになるやいなや、他の力士への威嚇、恫喝を繰り返し、出稽古に行けば稽古と称して半殺し、大怪我をさせて出入り禁止になることもしばしば。
ついには自らの師匠を見下し、協会の理事長をも見下し、大鵬さんの意見にも耳をかさず、酒乱癖で暴力事件を引き起こす等々、悪行三昧の勝手放題やり放題。
最後の最後まで『品格』という言葉の意味が理解できなかった愚か者でございました。
日本人横綱の待望論、そんな言葉も消えかかって久しい昨今、7月7日から始まる大相撲7月場所(名古屋場所)におきまして、大輪の花を咲かせようとしている力士がいよいよ正念場の土俵へ上がろうとしております。
東の大関、稀勢の里 寛、茨城県牛久市出身、鳴門部屋。

日本人の期待を一身に背負い、7年半振りの優勝と、15年振りの日本人横綱の誕生を達成するべく、彼は孤独な土俵へ上がります。
不動の平衡が出来上がり、やがて足がからみ、やがて帯と肉の間に指がもぐり、まわしの下がりが逆立ち、筋肉が膨れ上がり、足が土俵に根を下ろし、血が皮膚に上り、土俵一面を鮮やかな薄桃色に染めるもの。
礼に始まり、礼に終わる。
勝って相手を敬い、負けて覚える相撲かな。
横綱とは神であり、品格抜群でなければ推挙されることはございません。
頑張れ、稀勢の里!
by 桜川
日下開山(ひのしたかいさん)とは、大相撲の最高位(横綱)に相当する力士に与えられた名誉・称号としての呼称でございます。
日下はとは天下、開山とは寺の開祖。
宗教の権威者を意味したところから、『日下開山』は無双の優れた者の代名詞となったそうでございます。
その後、江戸中期のころまで強豪力士を『日下開山』と呼び、江戸後期には『横綱免許』を受けた『大関』をさすようになり、明治の頃になってようやく『横綱』の別称として定着したのでございます。

誰が何と申しましょうと、相撲は日本の伝統文化、国技そのものでございます。
日本相撲協会という名の元におきまして、桃色の巨人(力士)同士が相撲の聖地(国技館)で相対し、不動の平衡が出来上がり、やがて足がからみ、やがて帯と肉の間に指がもぐり、まわしの下がりが逆立ち、筋肉が膨れ上がり、足が土俵に根を下ろし、血が皮膚に上り、土俵一面を鮮やかな薄桃色に染めるもの…でございます。
『江戸の大関より土地の三段目(を応援する)』
それこそが日本国民の心であり、大相撲の楽しみ方ではなかったのか?

気が付きますれば、1998年の7月場所にて『若・貴ブーム』の火付け役である第66代横綱(若乃花)が誕生して以来、15年もの間、日本人の『日下開山』が誕生しておらず、それどころか『幕内最高優勝』すらも、2006年1月場所の栃東以来、なんと7年半(45場所)もの間、日本人力士が天皇賜杯を抱く事が出来ていないという事実。
国技館に掲げられている優勝色彩写真額(全36枚)は、全て外国人力士一色に染まり、これはもう異常中の異常であり、非常事態もいいところでございます。

私はけっして外国人力士を否定しているわけではございませんが、大相撲の本場所は日本国内でしか行われておらず、興行という意味におきましても、日本人力士の躍進・活躍は絶対に不可欠なのでございます。
大相撲の人気を支えたスター力士が衰えて引退を決意する頃になりますと、不思議と次なるヒーローが頭角を現し、世代交代で人気を継続できていたものでございます。
栃・若の後には大鵬が…、大鵬の後には貴ノ花が…、貴ノ花の後には千代の富士が…、そして千代の富士の後には貴乃花(2代目)が…、という具合に。

しかし…
貴乃花の後に大相撲界を牛耳ってくれたのが『朝青龍』という名の鬼将軍であり、これが日本大相撲の長い歴史におきまして、観客動員数が半減してしまう大きな原因となってしまいました。
モンゴル国籍の朝青龍は負けん気が人一倍強く、それがために厳しい稽古にも耐え忍び、異国の地で人の10倍もの猛稽古を連日行ったという根性・努力は、誰しもが認めるところでございます。
しかしながら、彼の頭は勝てば官軍!

土俵で敵無しになるやいなや、他の力士への威嚇、恫喝を繰り返し、出稽古に行けば稽古と称して半殺し、大怪我をさせて出入り禁止になることもしばしば。
ついには自らの師匠を見下し、協会の理事長をも見下し、大鵬さんの意見にも耳をかさず、酒乱癖で暴力事件を引き起こす等々、悪行三昧の勝手放題やり放題。
最後の最後まで『品格』という言葉の意味が理解できなかった愚か者でございました。
日本人横綱の待望論、そんな言葉も消えかかって久しい昨今、7月7日から始まる大相撲7月場所(名古屋場所)におきまして、大輪の花を咲かせようとしている力士がいよいよ正念場の土俵へ上がろうとしております。
東の大関、稀勢の里 寛、茨城県牛久市出身、鳴門部屋。

日本人の期待を一身に背負い、7年半振りの優勝と、15年振りの日本人横綱の誕生を達成するべく、彼は孤独な土俵へ上がります。
不動の平衡が出来上がり、やがて足がからみ、やがて帯と肉の間に指がもぐり、まわしの下がりが逆立ち、筋肉が膨れ上がり、足が土俵に根を下ろし、血が皮膚に上り、土俵一面を鮮やかな薄桃色に染めるもの。
礼に始まり、礼に終わる。
勝って相手を敬い、負けて覚える相撲かな。
横綱とは神であり、品格抜群でなければ推挙されることはございません。
頑張れ、稀勢の里!
by 桜川
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