海は死にますか (其の三)
【雑草ポエム 第669話】(大東亜戦争開戦70年)
※前回からの続きです。未読の方は前々回の(其の一)からお読みください。
遊就館の終わりには、英霊の『みこころ』に触れるエリアがございます。
お国のために散り逝く身でありながら、その実は、違った心境であったということが嫌という程胸に染みる貴重なエリアでございました。

そこには多くの『遺書』(直筆)が展示されており、読まれている方々は老若男女を問わずして、皆 ハンカチで目頭を押さえておりました。
男性は書いた身になって…、そして女性は受けた身になって読んでいたように思います。

私もそうした遺書や遺品に手を合わせ、一つずつ目を通してはみましたが、半分も読まないうちに涙で目が曇ってしまい、どうにも読み切る事ができません。
それでも必死の思いで涙を堪え、最後の展示物 『花嫁人形』まで辿り着きました。

この花嫁人形は…
少年たち、青年たちのほとんどが、妻を娶ることなく、女性を知ることもなく、愛した女性の手さえも握ることなく、国のために死んでいったのでございます。
故に、それを哀れに思った母親や姉たちが、亡き息子に… 亡き弟に…と、花嫁人形を贈ったのでございます。
花嫁人形の下に、母親からの手紙が展示してありました。
==========================
武一よ、貴男は本当に偉かった。
23才の若さで家を出て征く時、今度逢う時は靖國神社へ来てくださいと雄々しく笑って征った貴男だった。
どんなにきびしい苦しい戦いであっただろうか。沖縄の激戦で逝ってしまった貴男。
年老いたこの母には、今も23才のままの貴男の面影しかありません。
日本男子と産まれ、妻も娶らずに逝ってしまった貴男を想うと、涙新たに胸がつまります。
今日ここに日本一美しい花嫁の桜子さんを貴男に捧げます。
私も84才になりましたので、元気で居りましたら又逢いに来ますよ。
どうか、安らかに眠ってください。
有りがとう。
昭和五十七年 三月 二十八日 母ナミ
==========================
壁には戦地で散った若き兵士たちの遺影が…

その多くが十代、二十代という初々しい少年、青年たちの顔が並んでおり、美しい花嫁人形は、その遺影に向き合うように飾られておりました。
若者の遺影の前に飾られている花嫁人形を見ておりますと、私はここまで堪えておりました涙が… いよいよ止まらなくなってしまいました。
彼らの無念さを思うと共に、戦争の無常さに怒りが込み上げ、その場に立ちすくむことしかできません。
国籍を問わずして、我が子が(我が弟が)英霊となった今、せめてものお嫁さんを…という気持ちで贈られたこの花嫁人形を見て、心打たれない人はおりません。

母親の愛は、海よりも深いと申します。
遺書も、やはり母親宛に書かれた物が圧倒的に多く、時代にマインドコントロールされていた時でも、この遺書を書いている時と、上空から敵艦に突っ込む瞬間だけは正気に戻り、『お母さん! お母さん!』と心の底から叫んでいた。
母と子の絆の深さは、良きにつけ悪しきにつけ、父親すら入り込めない奥深い関係があると私は思っております。
マザコンだ…などと下劣な言葉で表す様な物ではないのです。
↓母の像

靖国神社に祀られる英霊 246万6,532柱、そのひとつひとつの御柱に、ひとつひとつの人生があり、親や兄弟がいて、物語がございます。
日本は、靖国をもっと大切にしなければならないと強く思いました。
考えて見ますれば、大東亜戦争は終戦から70年弱しか経っておらず、いまだ『歴史』にはなっていないということに、私たち日本国民は気が付いているのでございましょうか。
『あんなこと、遠い昔の話だった…』などと、間違った認識を持つ若い政治家が何れこの国を支配し、安易に日本国憲法を変えようとされたのではたまりません。
いいか、よく聞け!
戦争は、バーチャルゲームなんかじゃねえぞ!
韓国政府いわく、日本の国会議員が靖国を参拝するのは、韓国に対する戦争挑発行為であり、宣戦布告なのだそうでございます。
あほか?
あの『花嫁人形』で涙を流せた心ある者は、隣国の恫喝を恐れることなど何もなく、堂々と我国の主張を述べ、そして堂々と靖国神社に参拝すればよいのです。
戦争への道に引きずり込もうとする勢力や時代の流れに対しましては、それこそ神経質な程に警戒を強め、そんな狂気の時流を作り出せないようにしていくのが、戦争を知らない私たちの役割であり、英霊に対する恩返しであると私は思っております。
神となられたご英霊
安らかにお眠りください。
反戦、不戦の誓いは眠らせません。
by 桜川
※前回からの続きです。未読の方は前々回の(其の一)からお読みください。
遊就館の終わりには、英霊の『みこころ』に触れるエリアがございます。
お国のために散り逝く身でありながら、その実は、違った心境であったということが嫌という程胸に染みる貴重なエリアでございました。

そこには多くの『遺書』(直筆)が展示されており、読まれている方々は老若男女を問わずして、皆 ハンカチで目頭を押さえておりました。
男性は書いた身になって…、そして女性は受けた身になって読んでいたように思います。

私もそうした遺書や遺品に手を合わせ、一つずつ目を通してはみましたが、半分も読まないうちに涙で目が曇ってしまい、どうにも読み切る事ができません。
それでも必死の思いで涙を堪え、最後の展示物 『花嫁人形』まで辿り着きました。

この花嫁人形は…
少年たち、青年たちのほとんどが、妻を娶ることなく、女性を知ることもなく、愛した女性の手さえも握ることなく、国のために死んでいったのでございます。
故に、それを哀れに思った母親や姉たちが、亡き息子に… 亡き弟に…と、花嫁人形を贈ったのでございます。
花嫁人形の下に、母親からの手紙が展示してありました。
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武一よ、貴男は本当に偉かった。
23才の若さで家を出て征く時、今度逢う時は靖國神社へ来てくださいと雄々しく笑って征った貴男だった。
どんなにきびしい苦しい戦いであっただろうか。沖縄の激戦で逝ってしまった貴男。
年老いたこの母には、今も23才のままの貴男の面影しかありません。
日本男子と産まれ、妻も娶らずに逝ってしまった貴男を想うと、涙新たに胸がつまります。
今日ここに日本一美しい花嫁の桜子さんを貴男に捧げます。
私も84才になりましたので、元気で居りましたら又逢いに来ますよ。
どうか、安らかに眠ってください。
有りがとう。
昭和五十七年 三月 二十八日 母ナミ
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壁には戦地で散った若き兵士たちの遺影が…

その多くが十代、二十代という初々しい少年、青年たちの顔が並んでおり、美しい花嫁人形は、その遺影に向き合うように飾られておりました。
若者の遺影の前に飾られている花嫁人形を見ておりますと、私はここまで堪えておりました涙が… いよいよ止まらなくなってしまいました。
彼らの無念さを思うと共に、戦争の無常さに怒りが込み上げ、その場に立ちすくむことしかできません。
国籍を問わずして、我が子が(我が弟が)英霊となった今、せめてものお嫁さんを…という気持ちで贈られたこの花嫁人形を見て、心打たれない人はおりません。

母親の愛は、海よりも深いと申します。
遺書も、やはり母親宛に書かれた物が圧倒的に多く、時代にマインドコントロールされていた時でも、この遺書を書いている時と、上空から敵艦に突っ込む瞬間だけは正気に戻り、『お母さん! お母さん!』と心の底から叫んでいた。
母と子の絆の深さは、良きにつけ悪しきにつけ、父親すら入り込めない奥深い関係があると私は思っております。
マザコンだ…などと下劣な言葉で表す様な物ではないのです。
↓母の像

靖国神社に祀られる英霊 246万6,532柱、そのひとつひとつの御柱に、ひとつひとつの人生があり、親や兄弟がいて、物語がございます。
日本は、靖国をもっと大切にしなければならないと強く思いました。
考えて見ますれば、大東亜戦争は終戦から70年弱しか経っておらず、いまだ『歴史』にはなっていないということに、私たち日本国民は気が付いているのでございましょうか。
『あんなこと、遠い昔の話だった…』などと、間違った認識を持つ若い政治家が何れこの国を支配し、安易に日本国憲法を変えようとされたのではたまりません。
いいか、よく聞け!
戦争は、バーチャルゲームなんかじゃねえぞ!
韓国政府いわく、日本の国会議員が靖国を参拝するのは、韓国に対する戦争挑発行為であり、宣戦布告なのだそうでございます。
あほか?
あの『花嫁人形』で涙を流せた心ある者は、隣国の恫喝を恐れることなど何もなく、堂々と我国の主張を述べ、そして堂々と靖国神社に参拝すればよいのです。
戦争への道に引きずり込もうとする勢力や時代の流れに対しましては、それこそ神経質な程に警戒を強め、そんな狂気の時流を作り出せないようにしていくのが、戦争を知らない私たちの役割であり、英霊に対する恩返しであると私は思っております。
神となられたご英霊
安らかにお眠りください。
反戦、不戦の誓いは眠らせません。
by 桜川
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