時速250kmの奇跡
昭和三十八年三月三十日、あらゆる世界記録を塗り替えようとしておりました日本で初の高速鉄道・新幹線ひかり号。
その速度向上試験におきまして、限界を超えつつある速度に耐え切れず、全車両の車輪が蛇行動を起こしかけておりました。
それは、時速240kmを超えた時のことでございます。
万が一のために設置されている『非常停止ボタン』を押す総責任者となっておりましたのが、新幹線の振動問題を研究し、高速安システムを開発した『松平精』氏でございました。
危険を予感した乗組員達は、皆こぞって松平氏を見つめましたが、『大丈夫だ、行ける!』と松平氏は即座に判断し、微動だにしませんでした。
時速246km… 247km… 248km… そしてついに新幹線ひかり号は速度目標値の250kmに到達。
事前に心配されておりました不気味な振動もなく、列車は終始安定した状態で走り続けておりましたので、この瞬間、乗組員の誰しもが新幹線の近日開業を確信することができました。
試験車両は運転士の判断でさらに加速を続け、午前九時四十六分、制動距離ギリギリだったとは申せ、速度計は世界最高記録(当時)の256kmを差し示しました。
爆撃機や特攻機を設計した『元・海軍少佐』が車両を設計し、やはり元・海軍の通信技術エキスパートが速度を自動制御するATCシステムを開発し、もっとも懸念されました振動による脱輪問題を、やはり海軍の戦闘機『零戦』の振動問題を解決した技術を新幹線開発に注いだ松平氏等の尽力によりまして、我が日本国の鉄道は世界的にも不可能であった可能性を見事に『可能』としたのでございます。
故に、0系新幹線の車両には軍隊の心が…、お国を愛するが故に散っていった『日の丸部隊の魂』が宿っていると申し上げても、決して過言ではございますまい。
私は昭和三十九年の九月生まれでございますが、この『夢の超特急』は翌月の十月一日、無謀とも思われました僅か五年の開発・工期を経まして、東海道新幹線は無事計画通りに開業いたしました。
私がこの世に生命を授かってから僅か十四日後の事でございますので、私は正に日本の新幹線と共に自らの歴史を刻んでいると思っております。
世界最速列車といたしまして、いよいよ東京駅を出発した夢の新幹線『ひかり号』は、ほぼ同時刻に新大阪駅を出発した下りの一番列車とすれ違う瞬間、運転に携わりました運転手が後に語っておりましたが、『何時、何分、何秒に、この地点で下りの一番列車とすれ違うと聞かされていた』らしく、その通りの時刻と場所ですれ違った瞬間、その計算された全てのシステムに感動し、涙が溢れたそうでございます。
互いの運転手は、その歴史的瞬間に思わず右手を額に当て、敬礼のポーズですれ違ったということを聞いたとき、私は思わず感動してしまいました。
発着時刻の正確さ…、数多くの世界記録を更新した日本の国有鉄道でございますが、私は何よりも世界に誇れる記録といたしまして、この『到着時刻の正確さ』がございます。
これも世界一は日本国であり、今でもその座を譲らぬと同時に、今なお続く無事故記録も世界一、これは何より立派な記録だと思います。
この記録は安全性を度外視し、スピード(時短)ばかりを重視している世界各国に対抗できる、素晴らしい金字塔でございましょう。
日本もまだまだ捨てたものではございません。

その速度向上試験におきまして、限界を超えつつある速度に耐え切れず、全車両の車輪が蛇行動を起こしかけておりました。
それは、時速240kmを超えた時のことでございます。
万が一のために設置されている『非常停止ボタン』を押す総責任者となっておりましたのが、新幹線の振動問題を研究し、高速安システムを開発した『松平精』氏でございました。
危険を予感した乗組員達は、皆こぞって松平氏を見つめましたが、『大丈夫だ、行ける!』と松平氏は即座に判断し、微動だにしませんでした。
時速246km… 247km… 248km… そしてついに新幹線ひかり号は速度目標値の250kmに到達。
事前に心配されておりました不気味な振動もなく、列車は終始安定した状態で走り続けておりましたので、この瞬間、乗組員の誰しもが新幹線の近日開業を確信することができました。
試験車両は運転士の判断でさらに加速を続け、午前九時四十六分、制動距離ギリギリだったとは申せ、速度計は世界最高記録(当時)の256kmを差し示しました。
爆撃機や特攻機を設計した『元・海軍少佐』が車両を設計し、やはり元・海軍の通信技術エキスパートが速度を自動制御するATCシステムを開発し、もっとも懸念されました振動による脱輪問題を、やはり海軍の戦闘機『零戦』の振動問題を解決した技術を新幹線開発に注いだ松平氏等の尽力によりまして、我が日本国の鉄道は世界的にも不可能であった可能性を見事に『可能』としたのでございます。
故に、0系新幹線の車両には軍隊の心が…、お国を愛するが故に散っていった『日の丸部隊の魂』が宿っていると申し上げても、決して過言ではございますまい。
私は昭和三十九年の九月生まれでございますが、この『夢の超特急』は翌月の十月一日、無謀とも思われました僅か五年の開発・工期を経まして、東海道新幹線は無事計画通りに開業いたしました。
私がこの世に生命を授かってから僅か十四日後の事でございますので、私は正に日本の新幹線と共に自らの歴史を刻んでいると思っております。
世界最速列車といたしまして、いよいよ東京駅を出発した夢の新幹線『ひかり号』は、ほぼ同時刻に新大阪駅を出発した下りの一番列車とすれ違う瞬間、運転に携わりました運転手が後に語っておりましたが、『何時、何分、何秒に、この地点で下りの一番列車とすれ違うと聞かされていた』らしく、その通りの時刻と場所ですれ違った瞬間、その計算された全てのシステムに感動し、涙が溢れたそうでございます。
互いの運転手は、その歴史的瞬間に思わず右手を額に当て、敬礼のポーズですれ違ったということを聞いたとき、私は思わず感動してしまいました。
発着時刻の正確さ…、数多くの世界記録を更新した日本の国有鉄道でございますが、私は何よりも世界に誇れる記録といたしまして、この『到着時刻の正確さ』がございます。
これも世界一は日本国であり、今でもその座を譲らぬと同時に、今なお続く無事故記録も世界一、これは何より立派な記録だと思います。
この記録は安全性を度外視し、スピード(時短)ばかりを重視している世界各国に対抗できる、素晴らしい金字塔でございましょう。
日本もまだまだ捨てたものではございません。

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