フェアープレー賞(ラシュワン)
絶対王者…
この言葉は、主にプロスポーツの世界でよく目耳にいたしますが、最近では飛びぬけて目立つ選手がいたとしても、その地位を長く維持できる超人は少なくなったと思います。
絶対王者とは『常勝』という重圧を常に背負い、長期に亘ってその地位を守り抜いてこその称号でございます故、なかなか出現しないのが当たり前なのかもしれません。
その昔…、日本のお家芸たる柔道界にも『絶対王者』という無敵の怪童がおりました。
その人の名は山下泰裕。
柔道の申子といたしまして、数あるタイトルを総なめとし、無敗のまま意気揚々と挑んだ全世界の晴舞台、ロサンゼルス・オリンピック…。
日本が誇る無差別級の総大将といたしまして、下馬評でも山下の優勝は間違いはなく、戦う前から金メダルは確定的だと報じられ、柔道を知る者でありますれば誰しもそう確信していた大舞台。
しかし、そこに大きな落とし穴が待っておりました。
『絶対王者の顔が歪む…』
第二回戦でもつれた際、不覚にも軸となる右足の肉離れを引き起こすという不運に見舞われてしまったのです。
あまりの激痛により、もう立っていることすら困難な状態。
相手は『柔の道』を理解できぬ外国人、『勝ちさえすればいいんだ!』という心が先行し、怪我をしている右足ばかりを徹底的に狙って責める。
彼らにとりましては、卑怯も苦境もないのです。
立ち技を仕掛けることもできないと悟った山下は、すぐさま足の負担が少ない寝技戦法に切り替えました。
これが功を奏し、なんとか決勝戦までコマを進めることができたのですが…。
勝ち残ってきた対戦相手は巨漢のラシュワン(エジプト)。
この時、彼は二人のコーチから異なったアドバイスを受けて悩んでおりました。
一人のコーチは『山下の右足を狙え!』、そしてもう一人のコーチは『右足を狙うな!』と。
決勝戦が始まり、二人はガップリ四つに組み合いましたが、山下は相手の技を透かして倒れこみ、寝技で勝負をする以外に勝ち目は無いと判断し、当然痛めている右足を狙ってくるだろうと読んでいた山下は、そのタイミングを待っておりました。
ところが…、ラシュワンは山下の右足を狙わない。
フェイントを仕掛けるのみで、痛めている相手の右足を攻撃しようとしないのです。
翌日の新聞記事では…『無敵伝説 山下泰裕 「栄光のためではなく」右攻めていたら…』(産経)
絶対王者の山下は左足一本で戦っていたのです。
軸足の右は肉離れがひどく、相手を投げることなど到底できない。
そんな状態を知っていながら、なぜ挑戦者ラシュワンは山下の右を攻め続けなかったのでございましょうか。
彼が絶対的に信頼する日本人監督、山本信明氏はラシュワンの得意技、つまり右払い腰で攻めろ、と命じているのです。
ラシュワンはその理由をしみじみと語りました。
『私のベストは、もちろん右払い腰です。ときには右を攻めると見せかけ、左を狙うこともある。でも、普通は左にフェイントをかけ、右払い腰で決める。これが私のやり方です』
では、なぜ山下に対して、まず右から攻めようとしたのでしょうか。
『あれは左払い腰で勝負するためでした。右で勝負していたら、もしかしたら勝っていたかもしれない。でも、私は…』
ラシュワンは、あえて山下の傷ついた右足を狙わなかった…と言うのです。
試合はその通りの展開となりました。
ラシュワンは山下の右へフェイントを飛ばしたあと、しばらくして左払い腰に出たのです。
本気で勝つための作戦であったといたしますれば、これほど無謀なことはないのですが…。
また、ラシュワンは右、山下は左の組み手を得意としているのですが、なんとラシュワンが相手に有利な左組みで勝負しようとしたのです。
しかも試合開始後、三十秒と経っていない…。
ラシュワンが攻めてきた左払い腰を、山下は『待ってました!』とばかりにさっと見事に透かしました。
互いにそのまま崩れ、山下は横四方固めで完璧にラシュワンの巨体を上から押さえ込みました。
栄光に向けて、時計はゆっくりと三十秒の時を刻み… そしてブザーが会場に鳴り響く。
山下はまだ抑え込んでいましたが、ラシュワンが観念したように力を抜き、腕を広げ、やっと勝利に気づいた絶対王者の顔は、まるで泣きじゃくる子供のようでございました。
ラシュワンがやさしく王者を支え、表彰台の中央に上げました。
金と銀、二人の胸に輝くメダル…、それがこの無敵伝説のフィナーレであるはずでございました…が、ロスの夏のドラマは終わっておりませんでした。
翌朝、新聞にこんな見出しが…
『フェアだった敗者ラシュワン』
『負傷の右足攻めず』
『称賛のコールやまず』
『右足狙わず堂々と』
後にラシュワンはフェアプレー賞という勲章を授与されるのですが、その時のインタビューでも…
『なぜ、痛めた足の方を攻めなかったのか?』
『それは私の信念に反する。そんなにまで勝ちたくなかった…』
『ヤマシタが右足を痛めていることは分かっていた。だからこそボクは(山下の)右足を攻撃しなかった。それにヤマシタが強かったから、自分は負けたのだ…』
ラシュワン(エジプト)は淡々と語りながら胸を張った。
『涙の金メダル』のドラマの最後に、巧まず演出された世紀の美談が待っていたのでございます。。
この言葉は、主にプロスポーツの世界でよく目耳にいたしますが、最近では飛びぬけて目立つ選手がいたとしても、その地位を長く維持できる超人は少なくなったと思います。
絶対王者とは『常勝』という重圧を常に背負い、長期に亘ってその地位を守り抜いてこその称号でございます故、なかなか出現しないのが当たり前なのかもしれません。
その昔…、日本のお家芸たる柔道界にも『絶対王者』という無敵の怪童がおりました。
その人の名は山下泰裕。
柔道の申子といたしまして、数あるタイトルを総なめとし、無敗のまま意気揚々と挑んだ全世界の晴舞台、ロサンゼルス・オリンピック…。
日本が誇る無差別級の総大将といたしまして、下馬評でも山下の優勝は間違いはなく、戦う前から金メダルは確定的だと報じられ、柔道を知る者でありますれば誰しもそう確信していた大舞台。
しかし、そこに大きな落とし穴が待っておりました。
『絶対王者の顔が歪む…』
第二回戦でもつれた際、不覚にも軸となる右足の肉離れを引き起こすという不運に見舞われてしまったのです。
あまりの激痛により、もう立っていることすら困難な状態。
相手は『柔の道』を理解できぬ外国人、『勝ちさえすればいいんだ!』という心が先行し、怪我をしている右足ばかりを徹底的に狙って責める。
彼らにとりましては、卑怯も苦境もないのです。
立ち技を仕掛けることもできないと悟った山下は、すぐさま足の負担が少ない寝技戦法に切り替えました。
これが功を奏し、なんとか決勝戦までコマを進めることができたのですが…。
勝ち残ってきた対戦相手は巨漢のラシュワン(エジプト)。
この時、彼は二人のコーチから異なったアドバイスを受けて悩んでおりました。
一人のコーチは『山下の右足を狙え!』、そしてもう一人のコーチは『右足を狙うな!』と。
決勝戦が始まり、二人はガップリ四つに組み合いましたが、山下は相手の技を透かして倒れこみ、寝技で勝負をする以外に勝ち目は無いと判断し、当然痛めている右足を狙ってくるだろうと読んでいた山下は、そのタイミングを待っておりました。
ところが…、ラシュワンは山下の右足を狙わない。
フェイントを仕掛けるのみで、痛めている相手の右足を攻撃しようとしないのです。
翌日の新聞記事では…『無敵伝説 山下泰裕 「栄光のためではなく」右攻めていたら…』(産経)
絶対王者の山下は左足一本で戦っていたのです。
軸足の右は肉離れがひどく、相手を投げることなど到底できない。
そんな状態を知っていながら、なぜ挑戦者ラシュワンは山下の右を攻め続けなかったのでございましょうか。
彼が絶対的に信頼する日本人監督、山本信明氏はラシュワンの得意技、つまり右払い腰で攻めろ、と命じているのです。
ラシュワンはその理由をしみじみと語りました。
『私のベストは、もちろん右払い腰です。ときには右を攻めると見せかけ、左を狙うこともある。でも、普通は左にフェイントをかけ、右払い腰で決める。これが私のやり方です』
では、なぜ山下に対して、まず右から攻めようとしたのでしょうか。
『あれは左払い腰で勝負するためでした。右で勝負していたら、もしかしたら勝っていたかもしれない。でも、私は…』
ラシュワンは、あえて山下の傷ついた右足を狙わなかった…と言うのです。
試合はその通りの展開となりました。
ラシュワンは山下の右へフェイントを飛ばしたあと、しばらくして左払い腰に出たのです。
本気で勝つための作戦であったといたしますれば、これほど無謀なことはないのですが…。
また、ラシュワンは右、山下は左の組み手を得意としているのですが、なんとラシュワンが相手に有利な左組みで勝負しようとしたのです。
しかも試合開始後、三十秒と経っていない…。
ラシュワンが攻めてきた左払い腰を、山下は『待ってました!』とばかりにさっと見事に透かしました。
互いにそのまま崩れ、山下は横四方固めで完璧にラシュワンの巨体を上から押さえ込みました。
栄光に向けて、時計はゆっくりと三十秒の時を刻み… そしてブザーが会場に鳴り響く。
山下はまだ抑え込んでいましたが、ラシュワンが観念したように力を抜き、腕を広げ、やっと勝利に気づいた絶対王者の顔は、まるで泣きじゃくる子供のようでございました。
ラシュワンがやさしく王者を支え、表彰台の中央に上げました。
金と銀、二人の胸に輝くメダル…、それがこの無敵伝説のフィナーレであるはずでございました…が、ロスの夏のドラマは終わっておりませんでした。
翌朝、新聞にこんな見出しが…
『フェアだった敗者ラシュワン』
『負傷の右足攻めず』
『称賛のコールやまず』
『右足狙わず堂々と』
後にラシュワンはフェアプレー賞という勲章を授与されるのですが、その時のインタビューでも…
『なぜ、痛めた足の方を攻めなかったのか?』
『それは私の信念に反する。そんなにまで勝ちたくなかった…』
『ヤマシタが右足を痛めていることは分かっていた。だからこそボクは(山下の)右足を攻撃しなかった。それにヤマシタが強かったから、自分は負けたのだ…』
ラシュワン(エジプト)は淡々と語りながら胸を張った。
『涙の金メダル』のドラマの最後に、巧まず演出された世紀の美談が待っていたのでございます。。
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