吉原 遊郭 見返り柳 (其の二)
【雑草ポエム 第656話】
吉原遊郭の遊女を供養する『浄閑寺』という名のお寺がございますが、この寺は浄閑寺にあらず、『投込寺』であるという、あたかも胸を突かれるような名前のほうが歴史的にも有名なのだそうでございます。

吉原遊郭の遊女が(何らかの事情で)亡くなりますと、その亡骸は全て浄閑寺に持ち込まれたそうでございますが、それは、単に吉原から1~2キロと最も近い寺だからであるとのこと。
そうした遊女の霊を慰めるため、新吉原総霊塔が1793年に建立されまして、現在の塔は1929年に改修されたものであるらしい…。

塔の一角には…、遊女の無念を表した句が刻まれておりました。
『生まれては苦界し、死しては洗閑寺』
1855(安政2)年に大震災があった際、吉原遊郭の大勢の遊女が投げ込み同然に葬られたことから、『投込寺』とも呼ばれるようになったそうでございます。
浄閑寺に埋葬された遊女は2万人を超え、その平均年齢は22歳弱…、そのどの女性も粗末なかっこうでムシロに巻かれていたという話を聞いた時、私は胸が締め付けられる思いがいたしました。
お寺なので、もちろん明るい場所ではございませんで、『空気がよどんでいる』と感じる人も少なからずいるそうでございます。
人の死を悼み、供養する場所だからこそ、この世とあの世が交わっているのかもしれないな…と、私は静かに目を閉じました。
私が訪ねたのはとても寒い日曜日でございました。
にもかかわらず、私がいた僅か10分程度の間に何人かやってきて、総霊塔の前で手を合わせておりました。
やはり、女性が多かったように思います。
遊女の苦しみを、同じ女性だからこそ感じることができるのだと悟りました。
それにしても、埋葬された遊女の平均年齢が22歳弱というのは言葉を失うばかりでございます。
人生をあきらめたのだろうか…、こんなものだと開き直ったのだろうか…、それとも、最後までもがき苦しんで死んで逝かれたのでございましょうか。
浄閑寺を出て浅草方面に歩いておりますと、同じ年頃の女性がいやでも目に入ってしましますが、何だか眩しく見えてしまうのは気のせいでございましょうか。
私は『22歳…、22歳…』とつぶやきながら、吉原大門交差点(見返り柳)へ向かいました。
by 桜川
(次回 其の三へ続く…)
吉原遊郭の遊女を供養する『浄閑寺』という名のお寺がございますが、この寺は浄閑寺にあらず、『投込寺』であるという、あたかも胸を突かれるような名前のほうが歴史的にも有名なのだそうでございます。

吉原遊郭の遊女が(何らかの事情で)亡くなりますと、その亡骸は全て浄閑寺に持ち込まれたそうでございますが、それは、単に吉原から1~2キロと最も近い寺だからであるとのこと。
そうした遊女の霊を慰めるため、新吉原総霊塔が1793年に建立されまして、現在の塔は1929年に改修されたものであるらしい…。

塔の一角には…、遊女の無念を表した句が刻まれておりました。
『生まれては苦界し、死しては洗閑寺』
1855(安政2)年に大震災があった際、吉原遊郭の大勢の遊女が投げ込み同然に葬られたことから、『投込寺』とも呼ばれるようになったそうでございます。
浄閑寺に埋葬された遊女は2万人を超え、その平均年齢は22歳弱…、そのどの女性も粗末なかっこうでムシロに巻かれていたという話を聞いた時、私は胸が締め付けられる思いがいたしました。
お寺なので、もちろん明るい場所ではございませんで、『空気がよどんでいる』と感じる人も少なからずいるそうでございます。
人の死を悼み、供養する場所だからこそ、この世とあの世が交わっているのかもしれないな…と、私は静かに目を閉じました。
私が訪ねたのはとても寒い日曜日でございました。
にもかかわらず、私がいた僅か10分程度の間に何人かやってきて、総霊塔の前で手を合わせておりました。
やはり、女性が多かったように思います。
遊女の苦しみを、同じ女性だからこそ感じることができるのだと悟りました。
それにしても、埋葬された遊女の平均年齢が22歳弱というのは言葉を失うばかりでございます。
人生をあきらめたのだろうか…、こんなものだと開き直ったのだろうか…、それとも、最後までもがき苦しんで死んで逝かれたのでございましょうか。
浄閑寺を出て浅草方面に歩いておりますと、同じ年頃の女性がいやでも目に入ってしましますが、何だか眩しく見えてしまうのは気のせいでございましょうか。
私は『22歳…、22歳…』とつぶやきながら、吉原大門交差点(見返り柳)へ向かいました。
by 桜川
(次回 其の三へ続く…)
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