燃える涙 (千代の富士)


1月10日(木) 本日の雑草ポエム
タイトル
『燃える涙 (千代の富士)』
『琴錦、いっちょういくか!』
巡業地の土俵に、最強横綱 千代の富士のゲキが飛ぶ。
『お願いします!』
琴錦は 喜び勇んで飛び掛っていきました。
昔はそんな光景が当たり前のように繰り返されておりましたし、徹底的にかわいがられ(ジゴかれ)、ボコボコの見世物状態にされながらも、『嬉しかった・・・ありがたかった」』 と、現役を引退して久しい 元関脇琴錦の松澤 英行氏が しみじみと語りました。
最高位に就く横綱たるもの、伸びてくる若い芽に恐怖心を抱かせるため、目を付けた気鋭の力士には容赦せず、徹底的に痛めつけ、心の底から『貴方にはかないません・・・』 と思わせる必要がございます。
角界の最高峰たる横綱にマークされた力士はそれを喜び、自身のためだと解釈することができるか否か、これが出世の分かれ道となるのです。
今、朝青龍が同じ事をしようとしておりますが、他の力士は 『壊されてしまう…』と逃げ回っているだけであり、サラリーマン化してしまった相撲界全体で、蒙古人 『朝青龍』 の傲慢稽古をバッシング…。
はたして、千代の富士 貢が現役でしたら、どう思ったことでしょうか。
『秋元 貢』 千代の富士の本名です。
彼の非凡な才能を見出した関係者から情報を聞きつけた先代九重親方(千代の山)は、上京を嫌がる貢少年を自ら説得するべく、北海道の自宅まで足を運びました。
しかし、何度足を運んでも、いくら上手に説得を試みても、いかんせん嫌がる本人の意思は鉄より固く、親の同意も得られないことから 半ば諦めムードで引上げようとする 先代九重親方。
その時・・・
『貢くん、東京へ遊びに来てみないか・・・飛行機に乗って!』
とっさに飛び出た親方の発言に動揺した貢少年ではございました
が・・・
『い・・・行く、オレ、東京に行く!』
悲しきかな 貢少年は『飛行機に乗ってみたい』という理由だけで、親方の策略など知る由もなく、簡単に上京を承諾してしまったのです。
『ではお父さん、そういうことですので 夏休みになりましたら息子さんをお迎えに参じます よろしく・・・』
先代九重親方は慢心の笑みを浮かべて挨拶し、玄関を出ようといたしました・・・が、小柄な父親の松夫氏が 大男の胸倉をヒシっと鷲掴みにし、何とも恨めしい声を絞り出してこう言いました。
『アンタ・・・いつもそういう手を使って・・・人様の大事なセガレを奪っていくのか・・・』
先代九重親方は、無言のまま 父親の手を振り解き、東京へ帰って行きました。
生まれ持った鋭い目付き、心臓に毛が生えているとまで言わしめた図太い神経から、付いたあだ名が『オオカミ少年』
命名者は 部屋の横綱『北の富士』であり、後に『ウルフ』と改名(?)されました。
千代の富士という四股名は、先代九重親方(千代の山)の、最後の『千代』を受け継ぐものでした。
千代の富士の才能を見出し、強引に東京へ連れてきた先代九重親方も 病には勝てず、『あ~あ、ひゃっこいビールが飲みてぇなぁ・・・』とぼやくほど、好きなアルコールも口にすることができず、愛弟子、千代の富士の快進撃を見る事も無く、天命を全うされ 眠るように逝ってしまいました。
その後、千代の富士の大活躍は言うに及ばず、大相撲ファンであれば周知の通りでございます。
心・技・体(度胸、スピード、パワー)、そのどれを取っても超人的であり、まるで運命の女神にエコ贔屓されているかのように 連戦連勝の日々が続きました。
しかし、度重なる脱臼、愛娘の突然死など、必ずしも幸多かれの相撲人生ではなかったことも事実です。
悲しみを乗り越え上がった本場所の土俵、優勝決定戦に挑んできたのは 何と同部屋横綱の北勝海でした。
結果的には組みとめた千代の富士が圧勝しましたが、土俵下の弟弟子を 何とも言えない表情で見つめていた顔が忘れられません。
さらに、勝ち名乗りを受ける際、NHKの向坂アナウンサーが思わず『愛ちゃん、見てくれ・・・という思いでしょう』と言い、同時に千代の富士が一瞬涙目になって天井を見上げる仕草をいたしました。
人間 ウルフ 千代の富士。
体力の限界という理由から 引退を表明する際、思わず声が詰まり、熱い涙がこぼれ落ちてまいりました。
親友の歌手 松山千春さんが、千代の富士のテーマソングといたしまして作ったという歌 『燃える涙』
そのラストフレーズで この雑草ポエムを締めくくります。
♪ 幸せへと たどり着く 近道は 知らない
限りのない 毎日に 悔いは残さない
喜びと 悲しみ 背中合わせ 燃える涙は こぼれおち ♪
by 桜川
『雑草ポエム』
http://
スポンサーサイト