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黄金の左腕(輪島大士)』



本日の雑草ポエム

タイトル
 『黄金の左腕(輪島大士)』

最近、『サプライズ』 という言葉が頻繁に使われるようになりました。

サプライズ…サプライズ…そう呟きながら目を閉じますと、どうしても思い浮かべてしまうことがございます。

昭和49年の名古屋場所 千秋楽の土俵で、奇跡の大逆転サプライズが起こりました。

日の出の勢いで躍進する、新進気鋭の大関北の湖と、事実上 『一人横綱』となっていた横綱輪島の一騎打ちです。

星の差は僅かに一つ。(北の湖13勝1敗 輪島12勝2敗)北の湖が勝てば、そのまま優勝が決定し、場所後には横綱へ推挙されるという期待が込められた一番でした。

一方、輪島が勝てば相星となり、優勝決定戦が行われるという展開で迎えました結びの一番。

館内は湧きに湧いておりましたが、優位に立っているはずの北の湖に落ち着きがなく、明らかに気負いすぎているという感じ。

それを見据えた横綱の輪島は悠々と 『焦らし戦法』 をとるかのごとく、突っ掛ける北の湖に2度も『待った』 を仕掛けました。

ようやく3度目の立合いで いきり立つ若武者を冷静に受け止めた輪島は、いさい構わず寄りたててくる北の湖を自らの腰に引掛け、向正面で体を開き 十八番の必殺技『左下手投げ』 を放つと、北の湖は堪らず土俵下へ落ちてしまいました。

この必殺技、人よんで 『黄金の左腕』 と申します。

輪島という横綱は腕力が強い上に技巧派力士でもありまして、右から絞り上げておいてから、腰のスナップを利用して体を開き、左からの投げを得意としておりましたので、このような異名が付いたのです。

そして優勝決定戦。
私が記憶している限りのNHK 北出アナウンサーの名調子を そのままお伝えいたします。(ほぼ 合っております)

『わぉっ、輪島モロ…輪島モロ差し…輪島モロ差しで寄った 寄った!ん~ 北の湖残した…今度は北の湖寄った 北の湖が寄った…輪島残した 輪島右からしぼった 北の湖 かまわず寄った…わぉっ また下手投げぇ~!(絶叫) 輪島の勝ちぃ~! 輪島の勝ちぃ~! 勝ったのは輪島! … 今度の下手投げは正面土俵 … 輪島、黄金の左腕に 二度 物を言わせましたぁ~!』




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輪島が日本大学2年生の時、二子山部屋にて貴ノ花と初対面。

当時、新十両として一躍脚光を浴びていた角界のプリンスこと、貴ノ花満。

周りからの勧めもあって、学生チャンピオンの輪島と、 『若乃花の弟』 という巨大なレッテルを貼られていた新十両(関取)が、ガチンコの三番稽古をいたしましたところ、輪島の2勝1敗という プロの関取である貴ノ花といたしましては、何とも恥ずかしい結果となってしまいました。

コレを見た二子山親方は激怒し、関取の象徴である白い稽古まわしを外させてしまったというエピソードがございます。

貴ノ花と輪島…この時 誰しもが 『貴輪時代』 の到来を予感させておりましたが、貴ノ花の失速によりまして、ついに実現することはございませんでした。

ウルフ・フィーバーが巻き起こりました昭和56年1月場所に、盟友貴ノ花が引退し、輪島も余力を残しながらも、翌3月場所で引退を表明。



ファンが夢に見た 『貴輪時代』は到来しなかったものの、土俵の去り際だけは足並みを揃える形となってしまいました。

輪島は3月場所の2日目に、琴風と対戦して敗れるのですが、初日には朝潮を物ともせずに快勝し、この日も 負けはしたものの、輪島の十分な形に組みとめ、存分に力を発揮して寄り切られたのですから、決して限界を悟るような敗戦ではなかっただけに、翌日、突然の記者会見には度肝を抜かされる思いでした。

しかし、輪島は言いました。

『あの体制になりながら・・・あれだけ十分に攻められる体制を作っておきながら負けたのです。もうどこから攻めても琴風には勝てないという証拠ですよ・・・』

輪島の(引退)美学でしょうか・・・。




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輪島は 『現代っ子横綱』 と言われ、マスコミをケムに巻いたり、高級車のリンカーン・コンチネンタルで場所入りし、さらには夜の街を乗り回し、ウォーミングアップ程度の稽古もソコソコに切り上げて、後楽園球場へ巨人戦を観戦しに出掛けたりと、仕来りだらけの相撲界を嘲笑うかのごとく、自由奔放に若き日の現役時代を満喫しておりました。

部屋の弟弟子でもあります『荒勢』や 『三杉磯』 などは、呆れて連日一門の二子山部屋へ出稽古に足を運びましたので、『輪島は自己調整だけの稽古嫌い』という、良からぬレッテルを貼られてしまいました。

引退後は、相続した名門『花籠』の年寄株を乱用、先代親方夫人の自殺、さらにさつき夫人との離婚等々、もう取り返しの付かない失態を繰り返してしまい、ついに日本相撲協会からも追放され、偉大な名横綱輪島大士は深い闇の中に葬り去られてしまったのです。

その後、プロレスラーに転向し、はたまた独特のキャラクターを生かしたバラエティー番組等での活躍など、多彩な才能を器用に使い分けながら、現在でもしっかりと生き抜いております。

輪島という横綱を論するに 『ふざけたイメージの輪島しか思い浮かばない…』 実際 そう漏らす現代の大相撲ファンは多いです。

しかし、『石川(県)に輪島あり!』 と言わしめた、学生時代の猛稽古は凄まじかったと申します。

あの大横綱北の湖と40回以上も対戦し、その対戦成績で唯一勝ち越しているのが この輪島です。

いかに 『相撲の天才』 と申しましても、努力なくして14回も幕内最高優勝ができるものなのでしょうか。

輪島を良く知るかつての学友が、『アイツは明けても暮れても稽古・稽古の毎日で、道楽をしているところなどは見たことがない。女性関係の噂すら立ったことが無いほど、死ぬような稽古を連日連夜こなしていました』と、世間体の悪い輪島を庇うかのように話していたインタビュー記事により、大ファンであった私の心も、幾分和む思いがいたしました。  



 by 桜川


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