Champion 山下泰裕


本日の雑草ポエム
タイトル
『 Champion 山下泰裕 』
私の場合、学生時代の部活動では、もっぱら柔道一直線でございまして、冷房設備のない道場で しこたま大量の汗を流し、 『水は飲むな!』という、昔ならではの恐ろしい規則を忠実に守りぬいたものですから、夏場などでは連日死ぬような思いで稽古に耐えておりました。
私は大相撲が大好きでしたし、それなりに強かったほうでございますゆえ、環境さえ整っていれば必ず相撲道に邁進していたに違いございません。
しかし、私の通っておりました学校には、全て相撲部というものが存在せず、また、プロ力士になりたくても体重が規定に届かず、入門する事もできません。
生まれ育った地域にも、そのようなサークルはございませんでしたし、遊び以外の相撲とは縁を切り、ひたすら柔道に明け暮れておりました。
大学1年の時に3段の昇段試験に合格、自分の小さな体系(中肉中背)からいたしますれば 上出来な柔道人生でございましたが…。
柔道を志した人間であれば、男女を問わず この方を尊敬していない人はいないでしょう。
そう、日本柔道会のカリスマ的存在である、山下泰裕師範代です。
『無敵』 とは、まさに彼のためにあるような言葉であり、実際 全戦無敗のまま引退したのですから 実に恐ろしい超人です。
そんな無敵の山下氏が、唯一のピンチを迎えたのが1984年の夏、ロサンゼルスオリンピックの時でした。
金メダル間違いなしと言われながらも、4年前のモスクワ五輪ボイコットに涙を飲み、年齢的にもこれがラストチャンスだと期待されて挑んだこの大会でしたが、2回戦でとんでもないアクシデントに見舞われてしまいました。
『右足ふくらはぎの肉離れ』
通常の人間であれば歩くことすら困難な大怪我をしてしまったのです。
試合は続行いたしましたが、立っているのも困難な山下氏の右足を、対戦相手は容赦なく攻める。
山下氏はたまらず肩から畳に落ちてしまい、実に十年ぶりに相手に有効ポイントを許してしまいました。
このままでは負けてしまう。
この時 試合を見ていた誰しもが そう感じていたに違いございませんでした。
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私を指導してくださいました柔道部顧問の先生が、道場で私達を前にして熱弁したことがございます。
『山下が、あの状況下でどうして優勝ができたと思う?、山下は、立ち技(投げ技)は勿論世界一だったが、寝技でも世界一強かったんだ』
右足をケガで使えなくなった山下氏は、立ち技を諦めて すかさず寝技戦法に切り替えたのでした。
自ら相手を誘き寄せるかのように倒れこみ、相手が膝を着いた瞬間に襲い掛かる戦法です。
その戦法が功を奏し、決勝戦までコマを進めることができました。
そしていよいよ伝説となった決勝戦!
相手はエジプトの巨漢 『ラシュワン』、山下氏は右足を引きずりながら登場し、気合を込めてガップリ四つに組み止めました。
ここから先の成り行きは、もう現在でも伝説と化しておりまして、ラシュワンが山下選手の足を狙わずに正々堂々と勝負をしたとして、多くの感動を世界に与え、フェアプレー賞という素晴らしい賞まで受けて絶賛され続けております。
確かに素晴らしい選手だと私も素直に思います。
しかし、その裏を返せば 『足を狙わなかったから山下は勝ったんだ』と、世界的に思われてしまっているようで、少々私は解せない思いもいたしました。
『山下は、寝技でも世界一なんだ!』 という、恩師の言葉が耳に焼き付いているからでございますす。
ラシュワンが足を狙っていったといたしましても、あの山下選手をを立ち技で一本勝ちにできることは まず不可能ですし、もつれながらでもきっと寝技の攻防になていたと思われます。
『寝技勝負となればこっちのもの!』 とばかりに、得意の上四方固めで圧勝していたに違いございません。
柔道は格好の良い立ち技ではなく、寝技から覚えたほうが強くなると言われておりますし、野球にいたしましても、格好の良いバッティングから習うより、守備をみっちり仕込んだ方が勝てるチームになると申します。
ボクシングにいたしましても、パンチングを覚えさせるより、フットワークやスウェーバックなどの防御から教え込んだほうが試合に勝てる選手に育つと申します。
『攻撃は最大の防御なり』 という昔からの言葉がございますが、あれは真っ赤な嘘であるということを、私はこのロス五輪を見て学びました。
by 桜川
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