炎のストッパー 津田

タイトル
『 炎のストッパー 津田 』
『弱気は最大の敵』…
そう云い残して この世を去った一人の男がおりました。
今から20年以上も前のこと、広島東洋カープは投手王国と呼ばれるほど充実した投手陣が揃っておりましたが、その中でも一際目立った存在でしたのがカープの守護神 津田恒美投手でございます。
津田投手は昭和57年に球団初の新人王を獲得後、血行障害等でファーム生活を余儀なくされておりましたが、昭和61年にリリーフ投手へ抜擢されたことにより大飛躍いたします。
場内アナウンスで 『ピッチャー 津田』 と鳴り響きますと、広島ファンから 『ウォーッ!!』 という、勝利を確信した歓喜の雄叫びが大爆発!
津田投手とは、それほどの絶対的なリリーフエースであり、 『どうだっ!』 とばかりに剛速球のストレートで真っ向勝負を挑むファイターに付いたキャッチフレーズが 『炎のストッパー 津田』。
その年、リーグ優勝の原動力となった津田投手は カムバック賞を受賞、更に平成元年には最優秀救援投手賞をも獲得し、球界有数の守護神となりましたが、平成5年、脳腫瘍のため32歳の若さでこの世を去ってしまいました。
津田投手には幼い息子がおりましたが、脳腫瘍という病名を聞かされ、余命僅かと悟った時、涙を隠しながら公園で軽くキャッチボールをして遊んであげたそうでございます。
勿論、幼子を相手にしての遊びゆえ、軽く投げ合っているだけでしたが…
『これでもう帰ろうか…』 と言った ラストの1球!
何を思ったのか 突然全力で(幼い息子に)プロのボール(剛速球)を投げたのでございます。
津田投手は息子に見せたかった。
死んでしまったら伝えられない事実を…
(これがお前のお父さんだ!)
津田投手は心でそう叫び、また 剛速球を目の当たりにした息子さんも、しっかりと父親の偉大さを心に焼き付けたに違いございません。
間もなく、津田投手は永眠いたしました。
翌年のプロ野球開幕戦、広島市民球場のマウンドに 津田投手の小さな息子さんが 『偉大な背番号14』 を付けて始球式に立ち、見事にノーバウンドでキャッチャーミットへ投げ込んだ姿は今でも鮮明に覚えております。
あの足の挙げ方は まさに炎のストッパー 『津田』 でした。
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by 桜川
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