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キルザ・ジャップ(力道山)




昭和29年、戦争により全てを失ったしまった日本国ではございましたが、ようやく復興の兆しを見せ始めましたものの、まだまだ日本人の心には敗戦の傷跡が深々と刻まれておりました。

そんな時代に日本中を熱狂の渦に巻き込む一人の男が登場したのです。

その男の名は 『力道山』!
昭和24年の5月場所には関脇まで昇進した元力士でございましたが、角界から身を引き、異色の世界へ挑戦するという、戦後の日本国に颯爽と登場した スーパーヒーローでございました。

あの当時、まだまだ高嶺の花である 『テレビジョン』 でしたが、臨時に街頭に設けられました物や、電気店のガラス越しにてデモ放送されている白黒テレビの周りには、連日黒山の人だかり…。

反米感情を曝け出し、憎き白人レスラーを渾身の力で打ちのめす日本人レスラーに大熱狂するという、現代では考えられないような光景が、あちらこちらで見受けられて…。

『大和魂は死んでおらんかった…』 とつぶやきながら、私の祖父は涙を流し、両手をブラウン管の前で併せて拝んでいたと聞いております。

力道山は走り続けておりました。
生き急ぐ…とでも申しましょうか、パッと咲いてパッと散っていった…、それが力道山の生涯でございました。

また、レスラーとしてだけではなく、数々の事業も手がけ、高級マンションの先駆けともいえる 『リキ・アパート』 の建設や、『リキ・スポーツパレス』 や、ゴルフ場など、そのバイタリティーたるや驚異的なものでございました.

その常識を超えるようなエネルギーの源は…
『俺は憎い相撲界を見返してやる!』

力道山は昭和25年、9月場所中に 『肺臓ジストマ』 という難病が原因で引退したということになっておりますが、これはあくまで表向きの発表だけでございまして、実は相撲界の冷たい仕打ちに腹を立てていたのです。
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日の出の勢いで快進撃を続けた力道山は、昭和25年5月場所で新関脇に昇進するも、突然上記の難病にかかり、協会や部屋の師匠(二所ノ関)等も、見込みがなくなると見るやいなや、生活に困り 助けを求める力道山を蔑ろにするなど、非人道的な態度をとられたのでございます。

『おのれ…!』
ついに堪忍袋の緒が切れた力道山は、自宅の浴室にて自ら出刃包丁で髷を切り落とし、大相撲界と決別したのでした。

その後、途方に暮れていた力道山を、酒場で知り合った 『ハロルド坂田』 という日系プロレスラー(全米プロレス)に惚れ込まれ、厳しい修行の元にプロレスラーとして全米デビューを果たしました。

デビュー戦はハワイの 『シビック・オーディトリアム』 で、力道山がリングに上がったとたん、大観衆の客席から 猛烈な野次が飛び交いました。
『キリザ・ジャップ!』 『キルザ・ジャップ!』 (卑怯な日本人!)

当時は太平洋戦争が終結してまだ7年、パールハーバー (真珠湾攻撃) の地元であるハワイでは、まだまだ反日感情が激しいものだったらしいのですが…。

そのようなアウエー状況の中、力道山は全力を出して戦い、そして勝利を収めたのですが、観客は勿論のこと、セコンドスタッフからも猛烈な罵声を浴びてしまいました。

『プロレスとは、お客を喜ばせるためにある。ヒール役のお前が勝ってはいけないんだ!』

この言葉に、力道山の全身が怒りで震えたと申します。

『お客を喜ばせるには…必殺技か!』
あるセメントマッチで行なわれた試合で、相手の 『アーキンス』 が必要以上に反則技を仕掛けてくる。

頭に血が上った力道山は、思わず右手を振り上げ、アーキンスの首めがけて手刀(チョップ)を放つと、アーキンスは一撃で失神し、リングの上で懇々と眠ってしまいました。

『これだ!』
これぞ伝家の宝刀、『力道山の空手チョップ』 でございます。
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必殺、『カラテ・チョップ』 を売り物に、世界各地で大旋風を巻き起こした力道山は、相撲時代の怪我を隠すために履いた黒タイツもマッチさせ、一回りも二回りも大きくなって日本に凱旋帰国。

その年の7月には 『日本プロレスリング』 が正式に発足し、その後は日本国中を熱狂の渦に巻き込んでいきました。

日本国民の英雄となった力道山は、日本の若手レスラーを育成するべく、スカウト活動にも積極的でございまして、読売巨人軍の大男 『馬場正平』(後のジャイアント馬場) を口説き落とし、猪木寛二(後のアントニオ猪木) をも発掘し、この二人を徹底的に鍛え抜きました。
そのシゴキは猛烈で、あの 『闘魂』 アントニオ猪木が 『力先生を殺して、海を泳いで逃げ出したかった…』 と身震いさせたほどでございました。

1958年8月、世界最強のレスラー 『ルー・テーズ』 を破り、悲願のインターナショナル・ヘビー級選手権を獲得し、1962年3月には、いよいよチャンピオンの 『フレッド・ブラッシー』 を破り、AWA(後のWWA)世界ヘビー級王者になりました。

何もかもが順風で、人生の絶頂期を迎えておりました1963年の12月、信じられない事件が起こったのです。

赤坂のキャバレーで 『足を踏んだ・踏まない』 という些細な原因からチンピラと喧嘩になり、刃渡り13cmの短刀で脇腹を差された力道山。

『この店は人を雇って俺を殺させようとした!』 と暴言を吐きながら、流血しているわき腹を気にする事もなく、気丈にもしばらくその場で酒を飲み続けておりましたが…

結局これが致命傷となりまして、数日後 腹部の傷が悪化、腸閉塞を併発したのち、入院先の病院で帰らぬ人となってしまいました。

太く短い人生とは、まさに力道山のような人を言うのでしょう。
一番弟子のジャイアント馬場が跡取り(社長)という形をとり、アントニオ猪木は独立して新日本プロレスを成功に導きました。

力道山の魂は、現在でも日本のプロレスで生き続けております。

 by 桜川


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