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日航機墜落の奇跡




『どーんといこうや!』
この機長の勇ましい言葉は、520名もの尊い命を預かっているその責任者といたしまして、目の前に出現いたしました 『操縦不能』 という名の悪魔に立ち向かうがための覚悟であり、己に対する気合掛けであったということは、今となれば理解することができます。

それは、1985年 8月12日 PM 6:34頃の事…
夕闇迫る真夏の上空におきまして、思うだに身の毛の弥立つ、物凄い大激闘が、ジャンボジェット機の狭い個室(コックピット内)で繰り広げられておりました。

『ライトターン! ライトターン!』
『マックパワー! パワーを上げろ!』
『頭(機首)を上げろ!… 頭(機首)を上げろ!…』
『あ… 上げてます!』
『フラッグUP! フラッグUP!』
『頑張れ! 頑張れ!』
『GPWS… GPWS… GPWS… GPWS…』

(も…もうだめだ…)

『ドドォーーーーーン!!!』


回収されたボイスレコーダーには、今でもコックピット内の慌しい状況が、実に生々しく音声として記録されております。

日航ジャンボ機墜落…
あの痛ましい大惨事から、今年でもう23年目を迎えようとしておりますが…。

あの時、まだ私は大学生でしたが、ちょうど家におりまして、FNNのニュース番組を見ていた途中、ニュース速報がテロップで流れ、その時初めて羽田発のジャンボジェット機が消息を絶ったという事を知ったのです。

確か、あの日は月曜日でして、PM7:00から始まりますクイズ番組を暢気に眺めておりましたが、またニュース速報のテロップが流れ始め 『墜落が確認されました・・・場所はまだ特定できておりません』 とのことでした。

PM8:00を過ぎますと、どこのTVチャンネルを確認してみましても、慌しい臨時ニュースのオンパレードとなり、結局一晩中その報道の繰り返しだったことを覚えております。

『関東圏内に墜落した可能性が高い…』
私は眠い目をこすりながらも、食い入る様に見ておりましたが…
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『墜落場所は群馬県多野郡上野村!』
それはもう想像を絶する程の大惨事でございました。

墜落したのがPM6:50頃でして、救助隊が現地(群馬県の御巣鷹の尾根)に到着したのが、何と事故発生から14時間以上も経過していた翌朝の9:00前後。

一番乗りで現場へ上がった地元の消防団員いわく、そこはもう地獄絵図そのものであり、五百数十名の乗員乗客は間違いなく全滅だろうと思われるほど、現場は悲惨な状況だったと申します。

しかし、午前10:00頃 『生存者発見!』 の吉報が日本列島を駆け巡りました。

一人の女の子が、懸命になって地獄の一夜を耐え忍び抜き、尊い命の叫びをあげていたのです。

レスキュー隊に抱きかかえられ、骨折した右腕をダランとたらしながらヘリコプターに引上げられる女の子の表情は、今でも忘れることができません。

涙を流すわけでもなく、恐怖に震えることもなく無表情のまま、ただ呆然と引上げられながらも、家族を殺した墜落現場の火の海を、どのような気持ちで眺めていたのでございましょうか。

夏の高校野球真っ盛りの甲子園球場でも、試合の途中でありながら、場内アナウンスが 『生存者発見!』 のニュースを伝えますと、球場内はどよめきながらも 『よかったね、よかったね』 と、大拍手が湧き上がりました。

あの飛行機には、大相撲の先代伊勢ヶ浜親方(元大関清国)の奥様と子供たちも搭乗しており、親方は一瞬にして大切な宝を失ってしまいましたが、その後の伊勢ヶ浜親方の人生は悲惨なものであり、ここに書き記すことができません…。

皆で協力し合い、無償で救助をしてくださいました地元 上野村の消防団員の方が、涙ながらにこう語っておりました。

『500人も亡くなった地獄の山だなんて言う人もいるが、こんな状況下で4人も助かった奇跡の山とでも言ってもらいたいよ…』

この言葉、私の心に深く残りました。
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墜落する瞬間、ボイスレコーダーに記録されていた機長の悲痛な叫び声を、最後の部分だけは編集されてしまい、近年まで一般公開されませんでしたが、最後の最後に 『もうだめだー』 という、一人の人間としての一声を大声で発しております。

垂直尾翼が無残にも破壊され、ほとんど操縦不能な状態に陥ったとき、520名以上の命を預かっている機長は何を考え、何を思っていたのでございましょうか。

後の調べによりますと、あと5分早く墜落していたら、埼玉県の秩父市街地に墜落していたらしく、また、飛行機の進行方向があと5度ほど北にずれていたとしましたら、群馬県の中心都市である高崎市の街中へ墜落していた可能性が高かったとのこと…。

もし、そのようなことになっていたならば、これはもう520名どころの犠牲者では済まなかった筈…。

私は思います。
機長は最後の最後まで諦めずに操縦桿を握っていたと伝えられておりますが、長年勤めてきたプロの操縦士であれば、現状を把握した時点で、行く先の運命は ある程度理解できていたはずでございます。

墜落した現場は、群馬県内でも特に素晴らしい環境を誇る上野村の山岳地帯。

民家も随分と離れており、ある意味 一番被害の少ない場所であったことは事実なのです。

機長は、それを承知の上で舵を取り、迷走しながらも恐るべき巨大な凶器を必死の思いで導いてくださったのではないでしょうか。

事故後は例によりまして、大会社特有の無様な責任の擦り合い。

『死人に口なし』 ということもあり、しばらくの間は機長が全責任を擦り付けられ、残された奥様やご家族の方々が肩身の狭い思いをなされてまいりました。

しかし…
同僚のベテラン機長がTVのインタビューにおきまして…
『よくぞあそこへ冷静に導いてくれたものだ。あの機長は本当に優秀だった!』 と、自ら非難を受けることを覚悟の上で、TVカメラの前で机を叩きながら熱弁する姿を見て、私は胸が熱くなったことを覚えております。

あれから23年の歳月が流れ、今、機長の悪口を言う人はいなくなりました。


 by 桜川


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