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とんぼ番長(清原和博)




日本球界の大切な宝が、また一つ消え去ってしまいました。

清原和博という選手、史上最強と目された大阪PL学園高校におきまして、1年生の時から4番打者を任せられ、甲子園大会通算13本塁打、優勝2回、準優勝2回という、凄まじい記録を引っさげて挑みましたのが85年度のドラフト会議。

当然ながら多球団から複数の1位指名を受けました。

『オレは巨人に入りたいんや…』
本人は、パジャマまで巨人の柄入りを着て寝ていたほど、熱狂的な巨人ファンということもあり、プロ入りするのなら巨人軍と、熱い思いで意中球団からの指名を待受けておりました。

巨人軍も 昔の星野仙一投手と同様に、『1位で指名しますので・・・』 と伝えており、相思相愛の関係にあったものだと、あの時誰しもが思っておりました

ところが…
『第一回選択指名選手  読売  クワタ マスミ 投手 PL学園高校!』

何と、巨人軍の1位指名は既に早稲田大学へ進学を表明し、一切の指名を受けない旨を公表しておりました、清原選手と同期・同僚の桑田真澄投手を逆転1位指名にしたのです。

清原選手は無言のまま、顔の表情を崩すこともなく、半開き状態の口元も閉じようとせず、ただ黙って悔し涙を流しておりました。

その後、会見した王監督に笑顔はなく、淡々と語る表情に、巨人軍内部の黒い霧のようなものが見え隠れしているようで、ファンの私でも嫌な思いがいたしました。

『江川事件』 以来、クジ運のない球団がとった最良の策であったのかもしれませんし、その後の桑田投手の活躍を見れば 容易に理解することができるでしょう。

しかし、それがために18歳の純な心を踏みにじり、夢を奪った責任はあまりにも大き過ぎたと思います。

清原選手は85年、名将 森監督に肩を叩かれながら、常勝西武ライオンズへ入団いたしました。
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85年、新人の清原選手は いきなりの大活躍を見せました。
打率304  31本塁打  78打点で文句なしの新人王!

しかも1年目の19歳にして4番打者を任命された上でのパリーグ制覇。
そのまま日本シリーズも優勝し、名実共に日本一の四番バッターとなりました。

そして翌年、セリーグを制した巨人との因縁対決が実現したのです。
開幕戦、エース格に成長した かつての同僚、桑田投手との対決、いわゆる 『K・K対決』 が、日本中のプロ野球ファンが注目する中で行われました。

先頭打者の石毛選手を3塁に置いて登場した清原選手は気合を入れ、グリップを二回絞って桑田投手を睨み付ける。

まず初球、内角の胸元をえぐるストレート、これが僅かに外れてワンボール。

この日の桑田投手、球はそこそこ走っていました。
そして2球目、清原選手の弱点とされる内角高めのストレート、これがやや甘く入って ストライクゾーンに飛び込んでまいりました。
『きた!』(アイツは必ずオレの弱点を突いて来る・・・インコース勝負や!)清原選手は 待ってましたとばかりにバットを振りぬき、ジャストミートのタイムリーヒットを決めたのでした。

結局、そのシリーズは4勝2敗でライオンズが圧勝したのですが、優勝決定直前の9回表、ツーアウトになった時点で ファーストを守っていた清原選手が号泣したのです。

マウンド上の工藤投手が笑いながらタイムを要求し、キャチャーの伊藤選手もマスク越しに笑い、セカンドの辻選手に肩を叩かれて、『しっかりせんかい!』 と、激をとばされる始末。

本人いわく、『アウトカウントを間違えたんです」』 ということでしたが、涙が流れ落ちた理由は誰にでも理解できました。

ラストバッターの篠塚選手を、いとも簡単に仕留めてしまったライオンズが余裕の優勝!清原選手の復讐劇ともとれる因縁のシリーズは、こうして幕を閉じたのでした。

その後、西武ライオンズは最強の常勝チームと化し、清原選手は日本を代表する中軸打者として大活躍、多くのプロ野球ファンを魅了してまいりましたが、自身の巨人軍に対する憧れだけは どうしても捨てきることができなかったのです。
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96年、FA権を獲得した清原選手は、古巣ライオンズと決別し、念願の読売巨人軍に入団することができました・・・が、
『オレは清原の保険かよ!』 という捨てセリフを残して、天才 落合博満選手が巨人軍を退団。
実に後味の悪い移籍劇となってしまいました。

巨人ファンといたしますれば、清原選手のイメージはもの凄く、特にチャンスの時の勝負強さはハンパではないと、皆誰しもが思っていたはずです。
日本シリーズや、オールスターで、散々痛い目に遭って参りましたから 余計です。

しかし、数字だけ見れば過去20年間の野球生活で、3割の打率を残したのは僅かに3回のみ。毎年量産していると目されていた本塁打数も、30本を越えたのは7回だけで、打点も含めてタイトルを手中におさめたことは一度もないのです。

4億5千万もの年俸(当時)を稼いでいるプロ野球の選手にしては、あまりにも低い数字に驚かされてしまいますが、清原選手というのは、いわゆる記録ではなく、記憶に残る選手であるということです。
やはりそれが大きかったのではないでしょうか。

しかし、所詮プロ野球はビジネスです。
チームに貢献できない選手に、高給を支払う必要なしと判断されてしまっては いたし方がございません。

本人は現役続行を強く希望していると申しておりますが、巨人軍以外でプレーをするといたしますれば、あの時の涙は何だったのでしょうか?

そして、散々お世話になった西部ライオンズの引止め交渉を、僅か10分程度で決別させた あの心意気はいったい何だったのでしょうか?

結果的にプロ野球ファンの楽しみは増え、今年のオリックス打線の影響力は大きかったと思いますが…

私は…
私といたしましては…
巨人のユニフォームに拘り続けた野球人生であったと言うのであれば、そのまま静かにバットを置いてほしかったなと思っております。


 by 桜川


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