難波の内弁慶(亀田兄弟)


『好きこそ物の上手なれ』
何かに興味心を抱くようになり、それを自ら実行してみたいと思うときには、もう既にそれなりの技量が備わっている証拠だと申します。
不思議なもので、人は誰でもある程度の自信を持ちますと 『自分の方が誰より上手いのでは…』 と、錯覚するクセがございます。
しかし、実際には 『アイツはオレよりヘタだな…』 と思った場合、思われた人と同レベル。
また 『アイツとオレは同レベルだな…』 と思うなら、相手の方が一枚上。
さらに 『アイツはオレより上手いな…』 と思うならば、相手は遙かに格上であると、私は大学時代の講師に教えられました。
相手の実力を根底から見極める(認める)には、それだけの 『鑑識眼』 というものが無ければ無理なのです。
思いますれば一年前、どこかのチンピラジム所属のイカレたボクサーが吠えまくり、対戦相手(チャンピオンの内藤選手)を調印式でコキ下ろし、『こんなゴキブリ相手に負けたら切腹する!』 とまで言い放ったアホな山猿がおりましたが、親も兄貴もジム会長も、はたまた主催したTV放送局にも 『鑑識眼』 があったとは到底思えず、結果的には無様な形で謝罪会見を行う形となってしまいました。
『どうも…、すいませんでした…』
このバカ野朗ども!
何も兄貴が一家を代表して謝るこたぁねぇだろう!
『難波の弁慶』 などとさんざん豪語してきたのであれば、伝説の超人 『武蔵坊弁慶』 らしく、張本人の大毅が潔く腹を切ればいい話です。
もっとも…
『潔く(いさぎよく)』 という言葉の意味が、あの亀田親子に解ればの話ですが…
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『潔く腹を切れ!』
コレは別に 『自殺をしろ』 と申しているわけではございませんで、拳闘界に惨めったらしく未練を残し、頭を丸めて涙を浮かべ、生き恥を晒してまで命乞いをするのであれば、スッパリと拳闘界を廃業(切腹)するべきであったと私は今でも思っております。
表題となりました亀田大毅の試合をTVで観ながら、1994年12月に行われましたタイトルマッチ 『薬師寺vs辰吉』 の大一番を思い出したボクシングファンは多いのではないでしょうか。
あの時も試合前、辰吉は執拗に薬師寺をこき下ろし、激しい舌戦が展開されておりましたが、手数で圧倒した薬師寺が判定で勝利しましたので、試合後の辰吉の言動に注目した人は多かったのです。
辰吉はリング上で薬師寺に頭を下げ、抱きかかえて勝利を祝福し、さらに控え室に戻ると囲むように集まった取材陣に対して、やや興奮した面持ちながらも 『まず最初に言っておきたいのは、今日はベストコンディションだったし、体調不良などは一切なかった』 と、薬師寺が強かったという旨を正直に述べたのです。
これでいいのです。
アメリカには 『まあまあ』 とか、『ぼちぼち』 などという中間的な文句はございませんで、勝つか負けるか、生きるか死ぬか… その選択肢しかないのだそうです。
確かに、メジャーリーグには 『引き分け』 という制度はなく、たとえ朝まで続こうとも、決着がつくまで延々とプレーは続行されますが、そうした国民性が世界のトップを張るプライドとなって、いつでも強気でいられるのでしょう。
ファジィーな心を伝統文化とする 『お人よし』 な日本の国民性…
世界的に通用しなくなってしまった最大の原因がここにあります。
何が 『すいません』 だ。
謝るんじゃねぇよ。
謝るくらいなら、初めっから言うんじゃねぇ!
by 桜川
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