母に捧げるバラード

その昔、ドン臭い3人の九州男児が上京し、『海援隊=武田鉄矢』 という 何の変哲もないネームを一発で世に知らしめることになった歌が 『母に捧げるバラード』 でございました。
戦後の厳しい生活の中で、連日ボロ雑巾のようになるまで働きながらも、我が子のために… 我が子のためにと、なりふり構わぬ教育姿勢を 『親の愛情』 と心得ていた 『昭和のおっかさん像』 を見事に綴った秀作でございます。
昔の 『おっかさん』 は、事有るごとにセガレの横面をひっぱたき、外へ追い出し、暗くて寒い物置小屋に閉じ込めて鍵を掛け…。
雷オヤジほどではないにしろ、それはもう怖い存在であったことは言うまでもございません。
ただ、泣くのですね…
最愛のセガレを叩きながらも、外へ追い出しながらも、そして 鍵を掛けた物置の外で、セガレの泣き音に合わせる様に、一緒になって泣くのです。
『おっかさん』 がセガレの横面を叩く時、一緒に 『しかめっ面』 をしながら叩きます。
『おっかさん』 にとりまして、セガレを叩くということは、すなわち自分が叩かれるのと一緒なのです。
痛い思いをする時に、一緒になって 『しかめっ面』 をしてくれるのは、この世の中でただ一人、母親をおいて他にはおりません。
昨今の母親たるもの、異常なまでに我が子をかくまい、ペットのごとく猫なで声で可愛がり、まず 叩くようなことなどいたしません。
今後、日本国の将来を背負って立つ身でありましょう、東京大学の新入生ですら、入学式に母親と手を繋いで出席するザマが、TVで全国的に放送される時代でございます。
母子であり、友達であり、時には恋人であり…
はたして それが理想の母子像であるといえるのでしょうか。
私にはどうしても理解することができません。
昨今の日本国には、優しい 『おかあさん』 や、愛くるしい 『マミィ~』 は沢山存在いたしますが、おっかない 『おっかさん』 が消滅してしまった感は否めません。
男の子が 『真の魂』 を引っこ抜かれてしまった日本の子…
その根本的たる原因が、そこにあるような気もいたします。
勿論、度を越えてはいけませんが…
親が愛情教育の意味で、自分の子供を叱って叩いて何が悪い!
私は嬉しかった…
by 桜川
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