雑草ポエム第500話達成記念 【沈まぬ太陽(其の四)】
【雑草ポエム 第500話】沈まぬ太陽 (其の四)
(前回 第499話の続き…)
飛行機の激突地点を、現地では『X地点』と称し、岩に『X』の文字が白くペイントされておりました。
当然のことながら、この『X地点』が最も激しく炎上した場所なのですが…
↓その時の事実を象徴するかのように、なんと丸焦げの大樹が立往生の状態に。

かなりの巨木だったに違いなく、それが僅か2m程度の高さまで溶けるように燃え落ちてしまうとは、当時の炎の凄まじさを嫌と言うほど物語っております。
それでも しっかりと根を張り、26年もの間 立ち続けているのは、ここを訪れる全ての人間達に、何かを訴えているかのようでございます。
↓また、すぐ脇にも根こそぎ炭になっている巨木の跡がございましたが…

↓なんと、えぐられた樹の中心部から新しい命の木が2本、すくすくと…!

私は写真を撮りながら、この時ばかりは思わず笑みがこぼれました。
↓最も遺体の数が多かった山頂部の墓標に頭を下げ…

↓下山道を下り、4人の生存者が発見された『すげの沢』へ向かいました。

↓『沢』というだけのことはあり、あちらこちらから湧き出る水が、ジグザクの急斜面をぬかるませ、大変歩き難い状況でございました。

『すげの沢』の急斜面は、飛行機が分裂した時の機体後部が爆発をのがれ、滑り落ちて来た場所でございます。
↓途中、なぎ倒された木の跡が、リアルに残骸として残っておりました。

↓こんな巨木をいとも簡単に突き倒し…

↓根こそぎ引き抜かれてしまった哀れな巨木たち…

そして…
激突地点から直線距離にして約200mほど下ったところに、『すげの沢』(上部)はありました。
この『すげの沢』は、事故原因とされる機体後部の圧力隔壁が回収された場所。
↓墓標があちらこちらに…

ここでは、全被害者の約3分の1の遺体が発見された場所ですが、4名もの尊い命が救出された『奇跡の沢』とも云われております。
残念なことは、激突地点で亡くなられた方々は、ほぼ即死かそれに近い死に方をなされたわけですが、この『すげの沢』まで滑り落ちてきた乗客は、その大半が即死ではなく、数時間は生きていたという事実。
苦しみながら救助を待ち、夜明けとともに息絶えたのだと、生存者の証言から明らかになっております。
救出が早ければ…
↓この方達は、尊い命を失わずに済んだのです。

事故原因に対し、色々な憶測が乱れ飛んでおりますが…
当時の政府や米軍、そして日航までもが、必死に何かを隠ぺいしようとしていたことだけは確かでございます。
先の東北関東大震災による原発事故にいたしましても、政府や東電がまったく同じ過ちを繰り返そうとしているのですから恐ろしい。
人命よりも、まず体裁。
責任は、すべて弱者に押し付ける。
この国の政とは、昔からそうしたものでございます。
↓すぐ脇に、『すげの沢』の涼しげな水音が聞こえました。

4人の生存者たちを、この『すげの沢』のせせらぎが一晩中励まし、応援し続けていたのでございましょうか。
↓ここの場所にも、山頂と同様に小屋が設けられており…

↓やはり遺族が持参した、思い思いの物品が飾られておりました。

それにいたしましても…
爆発炎上を逃れ、機体後部と共に滑り落ちて来た『すげの沢』付近にばら撒かれた状態のこの方達は、あの時はまだ確かに生きていたのです。
520人の死亡者数とありますが、この場所では妊娠中の女性がおり、お腹の中にもう1人、名もない大切な命も失われてしまいましたので、実際には521人の死者であったと私は云わせていただきます。
なぜ、墜落から12時間以上もの間、放置されてしまったのでございましょうか。
映画『クライマーズ・ハイ』におきまして、最後のテロップが衝撃的でございました。
『…日航機の墜落原因は今も諸説あり、真相究明を望む声は後を絶たない…』
私も…
その中の1人でございます。
===============
さて…
登山口を出発してから約3時間が経ち…
↓いよいよ『すげの沢』ともお別れの時がやって参りました。

登る時も、下る時も、常に優しく語りかけ、応援し続けてくれた『すげの沢』のささやきに、私は心から感謝したいと思いました。
↓さようなら、美しい『すげの沢』。

↑ありがとう、美しい『すげの沢』。
2011年 6月 5日 PM 2:18(下山日時)
私は、来て良かった…
本当に良かった…
真っ赤な太陽は 沈まない…
by 桜川
(前回 第499話の続き…)
飛行機の激突地点を、現地では『X地点』と称し、岩に『X』の文字が白くペイントされておりました。
当然のことながら、この『X地点』が最も激しく炎上した場所なのですが…
↓その時の事実を象徴するかのように、なんと丸焦げの大樹が立往生の状態に。

かなりの巨木だったに違いなく、それが僅か2m程度の高さまで溶けるように燃え落ちてしまうとは、当時の炎の凄まじさを嫌と言うほど物語っております。
それでも しっかりと根を張り、26年もの間 立ち続けているのは、ここを訪れる全ての人間達に、何かを訴えているかのようでございます。
↓また、すぐ脇にも根こそぎ炭になっている巨木の跡がございましたが…

↓なんと、えぐられた樹の中心部から新しい命の木が2本、すくすくと…!

私は写真を撮りながら、この時ばかりは思わず笑みがこぼれました。
↓最も遺体の数が多かった山頂部の墓標に頭を下げ…

↓下山道を下り、4人の生存者が発見された『すげの沢』へ向かいました。

↓『沢』というだけのことはあり、あちらこちらから湧き出る水が、ジグザクの急斜面をぬかるませ、大変歩き難い状況でございました。

『すげの沢』の急斜面は、飛行機が分裂した時の機体後部が爆発をのがれ、滑り落ちて来た場所でございます。
↓途中、なぎ倒された木の跡が、リアルに残骸として残っておりました。

↓こんな巨木をいとも簡単に突き倒し…

↓根こそぎ引き抜かれてしまった哀れな巨木たち…

そして…
激突地点から直線距離にして約200mほど下ったところに、『すげの沢』(上部)はありました。
この『すげの沢』は、事故原因とされる機体後部の圧力隔壁が回収された場所。
↓墓標があちらこちらに…

ここでは、全被害者の約3分の1の遺体が発見された場所ですが、4名もの尊い命が救出された『奇跡の沢』とも云われております。
残念なことは、激突地点で亡くなられた方々は、ほぼ即死かそれに近い死に方をなされたわけですが、この『すげの沢』まで滑り落ちてきた乗客は、その大半が即死ではなく、数時間は生きていたという事実。
苦しみながら救助を待ち、夜明けとともに息絶えたのだと、生存者の証言から明らかになっております。
救出が早ければ…
↓この方達は、尊い命を失わずに済んだのです。

事故原因に対し、色々な憶測が乱れ飛んでおりますが…
当時の政府や米軍、そして日航までもが、必死に何かを隠ぺいしようとしていたことだけは確かでございます。
先の東北関東大震災による原発事故にいたしましても、政府や東電がまったく同じ過ちを繰り返そうとしているのですから恐ろしい。
人命よりも、まず体裁。
責任は、すべて弱者に押し付ける。
この国の政とは、昔からそうしたものでございます。
↓すぐ脇に、『すげの沢』の涼しげな水音が聞こえました。

4人の生存者たちを、この『すげの沢』のせせらぎが一晩中励まし、応援し続けていたのでございましょうか。
↓ここの場所にも、山頂と同様に小屋が設けられており…

↓やはり遺族が持参した、思い思いの物品が飾られておりました。

それにいたしましても…
爆発炎上を逃れ、機体後部と共に滑り落ちて来た『すげの沢』付近にばら撒かれた状態のこの方達は、あの時はまだ確かに生きていたのです。
520人の死亡者数とありますが、この場所では妊娠中の女性がおり、お腹の中にもう1人、名もない大切な命も失われてしまいましたので、実際には521人の死者であったと私は云わせていただきます。
なぜ、墜落から12時間以上もの間、放置されてしまったのでございましょうか。
映画『クライマーズ・ハイ』におきまして、最後のテロップが衝撃的でございました。
『…日航機の墜落原因は今も諸説あり、真相究明を望む声は後を絶たない…』
私も…
その中の1人でございます。
===============
さて…
登山口を出発してから約3時間が経ち…
↓いよいよ『すげの沢』ともお別れの時がやって参りました。

登る時も、下る時も、常に優しく語りかけ、応援し続けてくれた『すげの沢』のささやきに、私は心から感謝したいと思いました。
↓さようなら、美しい『すげの沢』。

↑ありがとう、美しい『すげの沢』。
2011年 6月 5日 PM 2:18(下山日時)
私は、来て良かった…
本当に良かった…
真っ赤な太陽は 沈まない…
by 桜川
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