大関 (Ozeki)



昭和の名大関、角界のプリンスといたしまして大相撲の人気を支えた貴ノ花 満さんが、惜しまれながらも現役を引退したのが昭和56年の1月場所。
奇しくも、その後角界の屋台骨を背負って立つスーパースター、ウルフ・千代の富士が大ブレイクを果したその場所に引退を決意したというのも、もって生まれたスター性の証でございましょうか。
あの当時、若干30歳という若さで現役引退を決意。
大関在位50場所という大記録を残し、その年の5月に断髪式を行いました。
この 『大関在位50場所』 という記録ですが、これは前人未到の記録であり、今後も破られることの無い、実に誇り高き偉業であると信じて疑いませんでした。
もちろん、私は今現在でもその心に何ら変化はございません。
大関という地位…
元来 『大関取』 というのが語源であり、それは読んで字のごとく、関取という格の中で最も大きな存在であるということを意味いたします。
長い長い大相撲の歴史におきまして、『大関をもって最高位とする』 という、かつての決まりがあったという事実を、あまり知られていないのが現状でございます。
大相撲界の役力士とは、大関・関脇・小結の三役にて構成されるもの。
故に、大関をもって最高位とする…という論点にも納得ができるというものです。
最高位という格であるならば、本場所ごとに優勝を狙って然るべきであり、優勝のできない(狙えない)大関など、角界に存在してはいけないのです。
大関昇進の伝達を受けたとき、ほとんどの力士が 『大関の名を汚さぬよう…』 という、口上のお決まり文句を口にいたしますが、その本質たる意味をしっかりと理解できている昨今の大関が、はたしてどれだけいるのでしょうか。
貴ノ花さんも無理が祟って内臓を破壊され、力の出せない晩年は 『弱い大関』 というレッテルを貼られ続けておりましたし、彼が優勝や横綱昇進を諦めていなかったなどと、誰も想像すらできなかったことでしょう。
________________________________________
弱い貴ノ花さんに付いたあだ名が 『クンロク大関』。
これは毎場所、判で押したように9勝6敗という成績が続くことから付けられた悪口でございますが…、今現在、現役として活躍している大関が毎場所9番勝つことができるのか…と申しますれば、やはり疑問符が付いてしまいます。
大相撲の美徳といたしまして、潔さというものがございます。
それは勝負に対する潔さは勿論のこと、進退に対する潔さというものも大切な心得でございます。
内規におきまして、『大関は2場所連続して負け越した場合は関脇に陥落する』 という決まりがございますが、2場所続けて負け越さなければ、いつまでも大関として現役を続けられる…という考え方が、私は間違っていると思うのです。
大関であれば、あくまで優勝が目的(目標)であり、それができなくなったと実感した時にこそ、自ら潔く引退するべきであり、昔の大関は皆そうしてまいりました。
かど番で8勝 → 翌場所休場 またかど番で8勝 → 翌場所休場 という延命パターンを繰り返し、いくら大関在位記録の金字塔を打ち立てようとも、私は絶対に認めることができません。
誰が何と申しましょうと、大関在位50場所という貴ノ花さんの記録こそがNo1でございます。
たとえこの後、千代大海関が100場所大関を勤めましょうとも、恥の上塗りをされているだけとしか思えません。
大関という地位は重責であり、大相撲界にとりましても重いものでなくてはいけないのです。
昭和の名大関、貴ノ花さんの引退記者会見での言葉…
『私は横綱昇進を諦めたことはありませんでした』
『優勝できなくなったと実感したから引退することを決意しました』
『横綱になってやるという気持ちがあったからこそ、大関の地位を維持できたのです』
私は千代大海関も魁皇関も大好きです。
いつまでも現役で取り続けて欲しいと願っております。
しかし…
大関の名を汚すような歴史だけは作って欲しくなかった…
長文多謝
by 桜川
スポンサーサイト