世情

【雑草ポエム】より
つい先日、子供の虐待について述べさせていただいた人間(私)が言うのも変ですが…
私は 『子供のしつけ』 というものに対しまして、殴打などを用いるという事を全面的に否定をすることはいたしません。
それは、殴ってでもやめさせなければならないことも多々あるからでございます。
しかしながら精神的、経済的に圧倒的な差がある子供と大人の関係におきまして、暴力が介在するというのはそもそもフェアではない…とも思っております。
これは以前、心理カウンセラーの人が話しておりました中でのことですがが、『子供のしつけ』 に暴力を用いることで最も危険なのは、子供が 『なぜ怒られるのか』 『自分のなにがいけなかったのか』 をまったく理解しないまま 『殴られるから』 『怖いから』 などという理由だけでで納得してしまうことだそうでございます。
善悪の判断は成長とともに覚えていくのが自然ですが、その判断基準を学ぶのではなく、単に 『殴られたら痛いから』 というだけの理由で大人の言うことに従順になってしまってはいけません。
当然ながら、こういう子供は大人の顔色を窺いながら良し悪しを判断するようになりますので、善悪の基準がないまま大人の顔色が絶対的な判断基準になりやすいと、その心理カウンセラーは申します。
また、その心理カウンセラーの指摘で面白いと思ったのは、叱る時は全力でしかる方が良いという…。
全力で叱られないまま育った子供は、成長して教師など親以外の大人から叱られた時に、自分が苛められていると錯覚しやすいのだそうです。
愛情を持った 『叱り』 があるということを、子供の頃から教えるというのも大事なことのようです。
思い起こしますれば子供の頃、親も教師も叔母ちゃんも、ついでに見知らぬオッサンに至るまで、何か悪いことをした時には全力全開で怒ってくれたような気がいたします。
そして怒られた子供達も、『なぜ怒られたのか』 『なぜ殴られたのか』 という理由を、ちゃんと理解できておりました。
昔の教師がこぼします…
出来の良い優等生よりも、出来が悪くて殴ってばかりいた生徒の方が印象に残り、卒業してから親密な付き合いができるのも、更生した 『多少キズあり』 の方が、甘みを増して美味しい物だとも…。
今時の教師は不幸だと思います。
by 桜川
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