ワシは月見草や…(野村克也)

【雑草ポエム 第345話】
『巨人の長嶋が太陽を浴びる向日葵なら、ワシは夜な夜な月を見上げる月見草や…』
今では球界の代名詞となりました、野村のノムさんお得意のボヤキでございます。
貧しかった学生時代、親から本物のバットという物を買ってもらえず、ノムさんは一升瓶に海水を入れて素振りの練習に明け暮れていたと申します。
在籍しておりました学校の野球部は大変弱く、ノムさんも全くの無名選手でございましたが、1954年、南海に契約金0円のテスト生という厳しい立場で入団し、彼のプロ野球人生も『月見草』のごとく、質素に静かに始まったのです。
『野球人 野村克也』という選手は、実にもの凄い超人的なプレーヤーでございました。
王貞治という選手さえ出現しなければ、日本一の輝かしい記録保持者でございます。
ただ…
悲しきかな世間から注目されることは極めて少なく、今に伝えられます『打者 野村克也』としての評価もほとんど目立つようなことはございませんで、1975年5月13日、ノムさんが史上初の通算2500本安打という大記録を達成したときの観客は僅か6000人ほどであり、しかもその偉業に拍手をした観客は、これまた僅か数十人だったと云われております。
例の『ワシは月見草や…』という代名詞が飛び出ましたのも、この試合の終了後でございました。
ノムさんは巨人軍というチームに対する厳しい評価(苦言)がウリというイメージばかりが先行し、いわゆるアンチ巨人系の代表的人物のように誤解されておりますが、実際には学生時代から大の巨人ファンであり、巨人が問題視されている昨今のFA事情につきましても、一定の理解を示しているという通な人でございます。
ノムさんは低迷する阪神タイガースの監督時代、補強に一切お金を出そうとしないフロントに対しまして怒りを露にし…
『ある意味では(巨人の補強方法は)正しく、今の時代に合ったものですよ!』と進言したと申します。
『4番バッターだけは才能ある選手との巡り会いであり、ただ出現を待っているだけでは何十年もファンの期待に応えられない!』と説いたそうでございます。
結果、後任として中日の監督だった星野さんを推薦したのもノムさんであり、星野さんの意向の通り、広島から4番バッターの金本選手を獲得し、大成功を収めました。
『野村克也-野球=ゼロ…。ワシから野球をとってしまったら何も残らないという意味なんや…』
東北楽天の監督に就任し、4年目という中途半端な期間で首を切られてしまうというのもノムさんらしいと思いますし、そんな土壇場でチームが奮起し、クライマックスシリーズへ駒を進めるのもノムさんらしく、第2ステージの初戦では大差を付け、十中八九勝利を手中にしておきながら、最終回でひっくり返されるという鮮やかな負けっぷりもノムさんらしい…。
そしてシリーズの最終戦、考えられないような場面で楽天のエース(岩隈投手)をワンポイント的に投入し、一発を浴びて玉砕してしまうというストーリーにて自らの野球人生にピリオドをうつなんて、ノムさんらなではの演出(?)としか考えられません。
おそらく生涯最後のユニフォーム姿となるでありましょうノムさんでしたが、最後は敵地札幌ドームのお客様に拍手喝采で見送られ、楽天の選手だけでなく、日本ハムの選手達もが入り混じっての胴上げ…。
これは長嶋さんも王さんも経験できなかったことでございます。
『もう感無量…、ワシはホンマに幸せ者やなぁ…』
ノムさんの、最後のボヤキは最高に光り輝いておりました。
by 桜川
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