仲よし!

【雑草ポエム 第353話】
ゲームセンターのみならずとも、昨今のレジャー施設でありますればどこへ行っても設置されているのが 『プリクラBOX』 でございます。
BOXの外側や壁面には、撮影した記念に(?)自分たちのポーズを決めたプリクラ写真をペタペタと貼り付けて帰るようでして、様々なパフォーマンスに満ち溢れた青春の証がいたる箇所に貼り付けられておりました。
私は何気にその写真を眺めておりますと、文字の書けるプリクラで撮影した物の中に、ピンク色の太い文字で 『仲よし』 と書かれていた物に目がとまり、中学生らしくかわいらしい2人の女の子が肩を並べ、ピースサインのポーズをきめておりました。
私は無邪気に微笑む女の子の顔を見ておりまして、この女の子達は 『仲よし』 と書ける友達がいてくれて良かったよなぁ…と、なぜかそう感じてしまいました。
『誰かと話をしたくても話せない…』
『心が通じあう友達ができなくてとても寂しい…』
そんな思いに泣いている人間(子供たち)が、この世の中にはどれほど多くいることでございましょうか。
核家族化が進み、親戚や近所の付き合いも少なくなってしまった日本の家庭環境におきまして、今の子供たちは家族以外の人間とふれあい、語り合う機会がめっきり少なくなってきていると思います。
昔は1家に1台でしたTVやエアコン類の家電製品なども、今では1人1台という時代となり、人と触れ合わずとも十分楽しく、かつ快適に過ごすことができる世の中なのでございます。
例え解らないことがあったといたしましても、手軽に何でもコンピューターが100パーセントの回答を出してくれますし、『人が…』という、人に頼る言葉も全く聞かれなくなってしまいました。
つまり、人にとりまして『人』という存在自体が必要なくなってしまうという現象が、世のあちらこちらで少なからず起こっているような気がしてなりません。
人は1人では生きてゆけない…
確かにそうですし、まったくもってその通りでございます。
しかしながら、現代の子供達にはその 『本当の意味』 が全く理解できておりません。
考えるのも独り、悩むのも独り、苦しむのも独り、故に死んでゆく(自殺)のも独りだと。
子供を亡くして悲しまない親はおりません。
親でありますれば、自分の命を犠牲にしてでも子供を助けたいと思うもの。
また、親をそのような不幸のどん底に突き落として喜ぶ子供もいないでしょうし、いてほしくありません。
それでも 『ささいなこと』 で死を選択し、親を泣かせて苦しませてしまう子供とは、やはり 『自分は独りでしかなかった…』 ということなのでございましょうか。
相変わらず学校での 『いじめ』 による若年の自殺者が後を絶ちませんし、過熱するワイドショーなどの報道合戦も手伝いまして、連鎖反応的な予備軍も沢山存在すると云われております。
『学校が悪い!』
『担任が悪い!』
『校長が悪い!』
TVのインタビューに対し、必ず親族は同じような事を申しますし、その気持ちも解らないわけではありません。
しかし、本当にそれだけが原因なのでございましょうか。
学校や教師ばかりを集団で袋叩きにし、教育の何とやらを根本的に改造すれば、全ての問題が解決するものと、本気で思っての行動なのかもしれませんが…。
指導力不足の学校側や、いじめた側を厳しく指導するのは当然ですし、とても大切なことではございますが、逆にいじめられる側も指導をされる必要があったのでは…と私は思うのです。
子供が 『黒人差別』 に泣かされている…という訴えをした人に対し、『いじめは有り得ることなんだと、強く子供に教育しておきなさい』 と、あるカウンセラーが強い口調でアドバイスしておりました。
差別は確かにいけないことであり、いじめも勿論いけません。
しかし、それが理屈として理解できるのは、やはり人生経験を豊富に積んだ大人でしかいないでしょう。
つまり、子供は正直なものであり、他人の欠点を笑ったり、からかったりすることはごく自然な現象だと思うのです。
ですから、家庭でそういう教育をしっかりとやっていれば、絶対に死を選択することもないですし、少なくとも心が独りぼっちになることは無いはずでございます。
学校側や、いじめた側を指導するのは二の次であり、まずは自分達の家庭教育を充実させるべきではないのでしょうか。
こんな 『当たり前』 のことが、今の人間にはできないのです。
人…人…人…
私がプリクラBOXの壁面に張られている写真を見入ってしまたのは、可愛らしい女の子ではなく、『仲よし』という文字に含まれている 『にんべん』 だったのかもしれません。
『にんべん』が付く漢字…
どの字を見ましても、私は感慨深いと思います。
by 桜川
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