横綱北の富士の土俵入り!


【雑草ポエム 第397話】
『華麗』という言葉が真っ先に浮かび上がる唯一の日下開山と申しますれば、第52代横綱 北の富士勝昭 その人でございます。

甘いマスクにスラリと伸びた長い脚。
喉の方も横綱級で、出したレコード『ネオン無情/チャンコ花唄』は50万枚を売り上げるほどの人気者。
甘い鬢付けの香りを漂わせながら、着流しでネオンを背にして歩きますれば、当然女性にはモテまくり、付いたあだ名が『夜の帝王』・『プレイボーイ横綱』でございます。
横綱に同時昇進いたしましたライバルの玉の海とは正反対の人間性で、『努力』や『忍耐』という言葉を極力嫌い、ファンからサイン色紙に(努力とか)書くようにと頼まれましても、絶対に書くことはございませんでした・
『だってさぁ、努力もしないで「努力」なんて書いたらカッコわるいじゃない…』
こうした発言をメディア等で繰り返しておりましたので、北の富士は基本的に稽古嫌いでルーズな横綱である…という誤解を受けまくっておりましたが、実際には基礎からみっちりと鍛えぬいた典型的な努力家であり、けっして稽古嫌いではなかったということでございます。
玉の海とは性格こそ違えども、お互いに尊敬し合い、『島ちゃん!』『北さん!』と呼び合える程の仲の良さでございまして、互いに切磋琢磨し合い、交互に優勝回数を重ねていた時におきましても、(どちらが勝ちましても)土俵上で勝負が付けば、互いに視線を合わせて『ペコッ』っと頷き合うという、本当に素晴らしい両雄でございました。
悲劇…
ライバル玉の海の死は、北の富士にとりましても大変な悲劇であり、その後の相撲人生を大きく狂わせてしまった最大の原因となってしまいました。
一本の張り詰めた絃が、ぷつんと切れてしまった時…
北の富士は泣きました。
泣いて泣いて泣きました。
天下の横綱が独りで泣いて、そして…
世に言う『北・玉時代』は幻と化し、そのまま幕を下ろしてしまいました。
現役引退後、師匠としての指導力は言うに及ばず…。
様々な事情ありて協会に残ることは出来ませんでしたが、現在ではNHK大相撲中継の専属解説者といたしまして、肩の力を抜いた軽妙な語り口で大相撲ファンを楽しませてくださる明るい笑顔の北の富士さん。
現役当時、存分に伝える事の出来なかった『北・玉時代』の心意気を、是非とも若い大相撲ファンに伝達していただければと願っております。
《チョォ~ン チョン チョン》
番数も~ 取り進みましたるところ…
方や 北の富士ぃ~ 北の富士ぃ~
此方 玉の海ぃ~ 玉の海ぃ~
此の相撲一番にて~…《チョォ~ン》
千秋楽ぅ~!!!
《チョォ~ン チョン チョン… チョン》
by 桜川
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