母の手縫いは 琴光喜
【雑草ポエム 第413】
6月の初旬…
大相撲の佐渡ヶ嶽部屋から、浴衣生地の反物が郵送されてまいりました。

これは毎年、部屋の後援者に感謝を込めて贈られる物でございまして、佐渡ヶ嶽部屋のオリジナル生地ということもあり、ファンにとりましては大変貴重な一品でございます。

今年の柄は『琴光喜』…
まだ野球賭博の容疑を全面的に否認していた時でございましたので、佐渡ヶ嶽部屋といたしましても『特に問題なし』とし、後援者に配布したレア物でございましたが…。
琴光喜を心より応援しておりました私にとりまして、その後の悪展開は言うに及ばず、思い余ってこの反物すら処分してしまおうかと迷った時もございました。
しかし、私は今まで琴光喜の技能相撲のみならず、彼の素晴らしい人間性をも尊敬し、一生懸命応援し続けてまいりましたので、どうしても私の脳裏から『琴光喜』という存在を消し去ることができませんでした。
『ならば、これ(反物)を形にしよう…』
私は信じて応援してきた力士の名を背中に背負い、堂々と街中を歩いてみたくなったのでございます。
『さて…、誰に作ってもらおうか…』
プロの洋裁師に作ってもらえば、上手に安くて簡単に仕上げてもらえることは分かっておりました。
が…
『ばぁ~ちゃん…(母親)、オレの浴衣… 作ってみねぇか?』
同居する私の母親は89歳でございます。
背中は猫のようにまん丸く、指も震え気味にて年賀状すら書くことが困難となり、暑い部屋でもエアコンの細かいスイッチを押すことができず、いつも辛抱を余儀なくしている昨今の状態…(汗)
無謀なことであるとは思いましたが…
ディサービスの無い日には、ポツンと部屋に閉じこもるだけの母親に、私は『仕事』というものを与えてみたいと常日頃から思っておりました。
『失敗しても、文句なし!』
そんな単純明快な条件の元、ようやく針と糸を引っ張り出してくれましたのが、カレンダーが6月から7月に変わろうとしている頃でございました。

ミシンを使わず、全てが手縫い…
来る日も来る日も、震える指先を押さえつつ、一針一針 一生懸命縫ってくれております。

70年間も捨てずに愛用しているという針ボーズ。
私が子供の頃にふざけて書いた落書きも、そのまま残っておりました。

この縫い目…
超が付くほど ヘタクソだと思いますが…
超が付くほど あたたかく感じてしまうのはなぜでございましょうか。

少々いびつな襟元を眺めておりますと…
私は『あるエピソード』を思い出し、思わず涙が込み上げてまいります。
その昔…
横綱を夢見て東北から上京した若い(16歳)お相撲さんがおりました。
血も涙もない東京砂漠…
理想と現実とのギャップに打ちひしがれ、部屋の暗がりで兄弟子達からの悪質ないじめを受けていた時のこと…。
母親に縫ってもらった浴衣の襟元を引き千切られ、ほつれた襟元の脇から何やら黒ずんだ紙切れが1枚…ポロリ。
なんと!それは小さく折り畳まれた1万円札でございました。
故郷を出るときに、『もしものために…』と、母親が縫い付けてくれていたものだと悟るまで、そう時間は掛かりませんでした。
お相撲さんは泣きました。
しわくちゃの一万円札に手を合わせ、ほつれた浴衣の襟元に顔をうずめ、大声を出して泣きました。
泣いて 泣いて 泣いて…
お相撲さんは立派な『力士』へと成長することができたのです。
私が母親に浴衣の作成を依頼した、その動機の一つといたしまして、思いきり涙を流してみたい…と、密かに思う心があったことは事実でございます。
2年前…
人生の岐路に立ち、いばらの道を選択してしまった私ではございましたが、大バッシングを浴びせ続ける周りの中におきまして、唯一『男気』を選択した息子(私)を褒めてくれたのは、この母一人でございました。
手縫いの浴衣…
母にとりましては、これが最後の大仕事となるかもしれません。
勿論、これが母の形見になるということも、まず間違いのないところでございます。
着手してから約ひと月が経過しようとしております。
そして、間もなく完成いたします。
私はこの『琴光喜』を身に纏い、堂々と胸を張って大東京(新橋界隈)を悠々と闊歩したいと思っております。
母の震える手ざわりを…
私は羽織って歩きたい。
今日も独り…
by 桜川
6月の初旬…
大相撲の佐渡ヶ嶽部屋から、浴衣生地の反物が郵送されてまいりました。

これは毎年、部屋の後援者に感謝を込めて贈られる物でございまして、佐渡ヶ嶽部屋のオリジナル生地ということもあり、ファンにとりましては大変貴重な一品でございます。

今年の柄は『琴光喜』…
まだ野球賭博の容疑を全面的に否認していた時でございましたので、佐渡ヶ嶽部屋といたしましても『特に問題なし』とし、後援者に配布したレア物でございましたが…。
琴光喜を心より応援しておりました私にとりまして、その後の悪展開は言うに及ばず、思い余ってこの反物すら処分してしまおうかと迷った時もございました。
しかし、私は今まで琴光喜の技能相撲のみならず、彼の素晴らしい人間性をも尊敬し、一生懸命応援し続けてまいりましたので、どうしても私の脳裏から『琴光喜』という存在を消し去ることができませんでした。
『ならば、これ(反物)を形にしよう…』
私は信じて応援してきた力士の名を背中に背負い、堂々と街中を歩いてみたくなったのでございます。
『さて…、誰に作ってもらおうか…』
プロの洋裁師に作ってもらえば、上手に安くて簡単に仕上げてもらえることは分かっておりました。
が…
『ばぁ~ちゃん…(母親)、オレの浴衣… 作ってみねぇか?』
同居する私の母親は89歳でございます。
背中は猫のようにまん丸く、指も震え気味にて年賀状すら書くことが困難となり、暑い部屋でもエアコンの細かいスイッチを押すことができず、いつも辛抱を余儀なくしている昨今の状態…(汗)
無謀なことであるとは思いましたが…
ディサービスの無い日には、ポツンと部屋に閉じこもるだけの母親に、私は『仕事』というものを与えてみたいと常日頃から思っておりました。
『失敗しても、文句なし!』
そんな単純明快な条件の元、ようやく針と糸を引っ張り出してくれましたのが、カレンダーが6月から7月に変わろうとしている頃でございました。

ミシンを使わず、全てが手縫い…
来る日も来る日も、震える指先を押さえつつ、一針一針 一生懸命縫ってくれております。

70年間も捨てずに愛用しているという針ボーズ。
私が子供の頃にふざけて書いた落書きも、そのまま残っておりました。

この縫い目…
超が付くほど ヘタクソだと思いますが…
超が付くほど あたたかく感じてしまうのはなぜでございましょうか。

少々いびつな襟元を眺めておりますと…
私は『あるエピソード』を思い出し、思わず涙が込み上げてまいります。
その昔…
横綱を夢見て東北から上京した若い(16歳)お相撲さんがおりました。
血も涙もない東京砂漠…
理想と現実とのギャップに打ちひしがれ、部屋の暗がりで兄弟子達からの悪質ないじめを受けていた時のこと…。
母親に縫ってもらった浴衣の襟元を引き千切られ、ほつれた襟元の脇から何やら黒ずんだ紙切れが1枚…ポロリ。
なんと!それは小さく折り畳まれた1万円札でございました。
故郷を出るときに、『もしものために…』と、母親が縫い付けてくれていたものだと悟るまで、そう時間は掛かりませんでした。
お相撲さんは泣きました。
しわくちゃの一万円札に手を合わせ、ほつれた浴衣の襟元に顔をうずめ、大声を出して泣きました。
泣いて 泣いて 泣いて…
お相撲さんは立派な『力士』へと成長することができたのです。
私が母親に浴衣の作成を依頼した、その動機の一つといたしまして、思いきり涙を流してみたい…と、密かに思う心があったことは事実でございます。
2年前…
人生の岐路に立ち、いばらの道を選択してしまった私ではございましたが、大バッシングを浴びせ続ける周りの中におきまして、唯一『男気』を選択した息子(私)を褒めてくれたのは、この母一人でございました。
手縫いの浴衣…
母にとりましては、これが最後の大仕事となるかもしれません。
勿論、これが母の形見になるということも、まず間違いのないところでございます。
着手してから約ひと月が経過しようとしております。
そして、間もなく完成いたします。
私はこの『琴光喜』を身に纏い、堂々と胸を張って大東京(新橋界隈)を悠々と闊歩したいと思っております。
母の震える手ざわりを…
私は羽織って歩きたい。
今日も独り…
by 桜川
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