さようなら 貴ノ花
【大関貴ノ花追悼記念特別作】
平成17年1月30日…
この日は貴ノ花の愛弟子であります元大関貴ノ浪の引退セレモニー 『音羽山襲名披露』 でございました。
既に癌を患い、闘病生活を余儀なくされておりました貴ノ花(二子山親方)の姿はございませんでしたが、断髪式のプログラムには最後から2番目という順番で列席するようになっておりました。
しかし、部屋を息子の貴乃花に譲り、すっかり公の場に姿を現さなくなってしまってから久しいということもございまして、『はたして来られるのかな・・・?』 という思いでおりましたが…。
人気大関の断髪式ということで、大勢の著名人が次々にハサミを入れ、17年という長い土俵生活に別れを告げる貴ノ浪に、一言一言労いの言葉をかけている姿は感動的でございました。
しかし、貴ノ浪自身は毅然としており、目頭を抑えるような仕草を一切見せません。
これには理由がございまして、土俵の鬼と謳われました初代横綱若乃花の教訓が、二子山部屋の力士達に受け継がれているからなのです。
その教訓とは…
『断髪式の時に涙を流すようなヤツは 土俵に未練がある証拠だ!』
『全てを出し尽くして悔いもなく土俵を去る人間に、涙なんかあるわけがない!』
『絶対に泣いてはだめだ!』
なるほど、その教訓には一理あると思います。
貴ノ浪は教えを守り抜き、ついに顔を歪めることもなく、いよいよ残り2人を残すのみとなりましたが…
どうしたことか、注目されていた貴ノ花(二子山親方)が来ないのです…
癌が悪化し、ベッドを動ける状態ではなかったと知ったのは後の話でございますが、愛弟子の門出を祝うために無理をして国技館へ駈け付けていたとは…。
交通渋滞という不運にも見舞われ、到着まで10分ほど時間がかかるという連絡を受けた国技館。
司会のアナウンサーは…
『皆さん、待っていただけますか?』 と、まるで祈るように問いかけますと…
館内のお客様から一斉に拍手が沸き起こりまして、土俵上には貴ノ浪ただ1人だけポツンと残される状況となりました。
貴ノ浪は目を閉じます。
17年間指導してくれた恩人が遣って来る。
本当の師匠であり、父親が、自分のために病魔を背負って駈け付けて来てくれる…。
次第に胸が熱くなる思いの貴ノ浪…。
そして、ついにその人は遣って来ました。
師匠たる貴ノ花(二子山親方)が花道に姿を現しますと、地響きのような大歓声が国技館内に響き渡り…
しかし、次の瞬間…
角界のプリンスと称された美男子のイメージは微塵にもなく、顔にはクッキリと死相が現れており、癌による出来物のような膨らみが頬から喉にかけて張り付いているようでした。
『こ・・・、これが貴ノ花か?』
その変わり様に館内のお客様はおろか、TVで見ておりました視聴者の心を抉ったのです。
ふら付きながらも土俵まで何とか歩いてこられた貴ノ花(二子山親方)でしたが、土俵の上に上がれない…
あの強靭な下半身を誇った貴ノ花が、何と土俵の上に1人で上がることができないのです。
世話役に肩を抱かれるようにしてようやく土俵の上へ…
貴ノ浪はその光景を背中で感じ取っていたようで、たまらず目頭に熱いものが込上げてまいりました。
貴ノ花(二子山親方)が一歩ずつ弟子の側に近づいて行く…
師匠が近づく毎に感極まる貴ノ浪…
そこで司会者が…
『貴ノ浪がもっともハサミを入れてほしかった人でしょう!』 と止めを刺す。
ついに貴ノ浪の目から大粒の涙が零れ落ちて…
震える手にハサミを持ち、弟子のマゲを数本切った後、深々と愛弟子の背中に頭を下げる貴ノ花(二子山親方)の胸の内は…。

大相撲界の危機を救い、『角界のプリンス』 とまで言わしめたスーパースターも、結果的にこれが生涯最後の公の姿となってしまいました。
貴ノ浪は泣きました。

しかし、この涙はけっして土俵に未練があって流した涙ではございません。
人間、『貴ノ花 満』 の偉大さに対する涙だったと信じたい。
その日からちょうど4ヶ月後の5月30日…
「口腔底癌」によりまして、東京都文京区の順天堂病院にて永眠いたしました。
昭和の名大関 貴ノ花
享年55歳
ありがとう…
by 桜川
平成17年1月30日…
この日は貴ノ花の愛弟子であります元大関貴ノ浪の引退セレモニー 『音羽山襲名披露』 でございました。
既に癌を患い、闘病生活を余儀なくされておりました貴ノ花(二子山親方)の姿はございませんでしたが、断髪式のプログラムには最後から2番目という順番で列席するようになっておりました。
しかし、部屋を息子の貴乃花に譲り、すっかり公の場に姿を現さなくなってしまってから久しいということもございまして、『はたして来られるのかな・・・?』 という思いでおりましたが…。
人気大関の断髪式ということで、大勢の著名人が次々にハサミを入れ、17年という長い土俵生活に別れを告げる貴ノ浪に、一言一言労いの言葉をかけている姿は感動的でございました。
しかし、貴ノ浪自身は毅然としており、目頭を抑えるような仕草を一切見せません。
これには理由がございまして、土俵の鬼と謳われました初代横綱若乃花の教訓が、二子山部屋の力士達に受け継がれているからなのです。
その教訓とは…
『断髪式の時に涙を流すようなヤツは 土俵に未練がある証拠だ!』
『全てを出し尽くして悔いもなく土俵を去る人間に、涙なんかあるわけがない!』
『絶対に泣いてはだめだ!』
なるほど、その教訓には一理あると思います。
貴ノ浪は教えを守り抜き、ついに顔を歪めることもなく、いよいよ残り2人を残すのみとなりましたが…
どうしたことか、注目されていた貴ノ花(二子山親方)が来ないのです…
癌が悪化し、ベッドを動ける状態ではなかったと知ったのは後の話でございますが、愛弟子の門出を祝うために無理をして国技館へ駈け付けていたとは…。
交通渋滞という不運にも見舞われ、到着まで10分ほど時間がかかるという連絡を受けた国技館。
司会のアナウンサーは…
『皆さん、待っていただけますか?』 と、まるで祈るように問いかけますと…
館内のお客様から一斉に拍手が沸き起こりまして、土俵上には貴ノ浪ただ1人だけポツンと残される状況となりました。
貴ノ浪は目を閉じます。
17年間指導してくれた恩人が遣って来る。
本当の師匠であり、父親が、自分のために病魔を背負って駈け付けて来てくれる…。
次第に胸が熱くなる思いの貴ノ浪…。
そして、ついにその人は遣って来ました。
師匠たる貴ノ花(二子山親方)が花道に姿を現しますと、地響きのような大歓声が国技館内に響き渡り…
しかし、次の瞬間…
角界のプリンスと称された美男子のイメージは微塵にもなく、顔にはクッキリと死相が現れており、癌による出来物のような膨らみが頬から喉にかけて張り付いているようでした。
『こ・・・、これが貴ノ花か?』
その変わり様に館内のお客様はおろか、TVで見ておりました視聴者の心を抉ったのです。
ふら付きながらも土俵まで何とか歩いてこられた貴ノ花(二子山親方)でしたが、土俵の上に上がれない…
あの強靭な下半身を誇った貴ノ花が、何と土俵の上に1人で上がることができないのです。
世話役に肩を抱かれるようにしてようやく土俵の上へ…
貴ノ浪はその光景を背中で感じ取っていたようで、たまらず目頭に熱いものが込上げてまいりました。
貴ノ花(二子山親方)が一歩ずつ弟子の側に近づいて行く…
師匠が近づく毎に感極まる貴ノ浪…
そこで司会者が…
『貴ノ浪がもっともハサミを入れてほしかった人でしょう!』 と止めを刺す。
ついに貴ノ浪の目から大粒の涙が零れ落ちて…
震える手にハサミを持ち、弟子のマゲを数本切った後、深々と愛弟子の背中に頭を下げる貴ノ花(二子山親方)の胸の内は…。

大相撲界の危機を救い、『角界のプリンス』 とまで言わしめたスーパースターも、結果的にこれが生涯最後の公の姿となってしまいました。
貴ノ浪は泣きました。

しかし、この涙はけっして土俵に未練があって流した涙ではございません。
人間、『貴ノ花 満』 の偉大さに対する涙だったと信じたい。
その日からちょうど4ヶ月後の5月30日…
「口腔底癌」によりまして、東京都文京区の順天堂病院にて永眠いたしました。
昭和の名大関 貴ノ花
享年55歳
ありがとう…
by 桜川
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