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蘇れ 自分!

【雑草ポエム 第687話】

23日の日曜日、私は独りでみなとみらいの臨海パーク『パシフィコ横浜』へ行って来ました。

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目的たるや…何の事はございませんで、単なる中古車の展示会に過ぎません。

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↓しかし、一歩会場へ踏み込みますれば『トヨタ2000GT』がお出迎え!

3トヨタ2000GT


↓懐かしの『コスモクーペ』も、光り輝く美しさ!

4コスモクーペ


車が必須アイテムだった青春時代の自分ですので、思わず『ウォーーーーッ!』と吠えてしまいました。


特設ステージにはピンクレディーを真似る、『オレンジレディー』が華を添え♪

5マナちゃん キョウコちゃん


昭和の熱き時代が、昔の名車とピンクレディーの名曲によってよみがえって来るようでございます。

ちなみに…
先日のクイズの答えは『ウォンテッド!』ですが、やはりマイミクの皆さん方はよくご存知でしたね♪
(この写真は何を歌っているのかわかりますぅ~?)

↓そのオレンジちゃん達と『セドリック330』♪

6セド330


↓うわぁ~お、ハコスカGTRだぜ!

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年をとればとる程、どんどん臆病になっている自分に最近気が付いた私ですが、こうした所に足を運ぶことにより、かつての無敵の心が蘇るのが心地良くて…。

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あの頃…
何も恐れる物はなかったです。


甦れ…

自分!


by 桜川
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山谷 首斬り 泪橋(其の一)

【雑草ポエム 第659話】

先日、東京都台東区千束(吉原)のルーツを辿り歩きましたが、それは哀しい女性のヒストリーでございました。 

その、同じ台東区内におきまして、千束(吉原)と向き合うかのように、哀しい男性のヒストリーが存在するということを、皆様はご存知でございましょうか。

『泪橋』、『ドヤ街』、『玉姫公園』と聞きまして、真っ先に『明日のジョー』という名作漫画を連想なされた方々は、ほぼ私と同じ世代でございましょう。

『泪橋』とは、現在のJR南千住駅から約300m直進した場所に存在し、『思川(おもいがわ)』という名前の川(用水路)を渡るために掛けられていた小さな橋でございましたが、現在では川も橋も存在せず、交通の激しい明治通りの交差点(泪橋交差点)といたしまして、辛うじてその名を残すのみとなっております。

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玉姫公園でホームレス生活をしていた『丹下段平』氏が、ドヤ街へ流れ込んできた少年『矢吹 丈』の素質を見出し、泪橋の下に『丹下拳闘クラブ』なるボクシングジムを設立、橋の上で天を仰ぎ、矢吹丈にこう説いた。

『ここは人呼んで泪橋…、人生にやぶれ、生活に疲れはて、このドヤ街に流れてきた人間たちが、なみだで渡る悲しい橋だ…』と、これが『明日のジョー』というドラマの有名なワンシーンでございます。

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しかし、現実的には丹下段平氏の力説とは少々異なっておりました。

思川を超えたその先には、『小塚原刑場』という名の江戸時代から明治初期まで存在した『死刑を執行する場所』がございました。

この小塚原刑場では、死罪が確定した罪人を磔(はりつけ)、火焙り、打ち首獄門を主に執行され、罪人にとりましては、橋を渡れば二度と元へ引き返すことのできない、正にこの世とあの世の橋渡し…。

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泪橋は、罪人の家族や身内の者には、処刑される者との今生の別れの場となりますので、互いがこの橋の上で泪を流したことから、この名が付けられた…というのが最も有力な『俗説』でございます。

そうした意味では、『泪橋を逆にわたってやろうじゃないか…』という、拳闘に命を賭けた丹下段平氏の名台詞にも、かなりの説得力がございます。

首を討たれる覚悟があれば…

そうした思いで、私は泪橋交差点を背にし、山谷地区(ドヤ街)へ足を向けることにいたしました。

それは哀しい、多くの『男たち』のいる場所へ…

by 桜川

吉原 遊郭 見返り柳 (其の三)

【雑草ポエム 第657話】

浄閑寺(投込寺)から土手通りを歩いて20分弱…

吉原遊郭の入り口として、唯一その名をとどめておりますのが『吉原大門(おおもん)』交差点であり、信号機横の標識に大きく掲げられております。

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『吉原大門』とは、言うまでも無く(当時の)吉原歓楽街への正面玄関でございまして、その治安目的は勿論、遊女たちの逃亡を防ぐため、出入はこの大門一箇所のみとされていたそうでございます。

江戸時代には黒塗り木造のアーチ型楼門が建設され、明治期には2代目となる鉄門が築かれましたが、1911年の大火(いわゆる吉原炎上)で焼失し、その後は関東大震災を機会に撤去されたそうでございます。

↓映画『吉原炎上』での吉原大門

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この吉原大門交差点、ガソリンスタンドの角にひっそりとたたずむ石碑がございまして、それには『見返り柳』と意味ありげな文字が刻まれておりました。

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これはかつて、京都の『島原遊郭』の門口に柳があったことから、それにならって吉原でも柳を植えていたらしく、その柳の辺りで、享楽を堪能した客が去りがたい思いを抱きつつ、遊郭をその場で振り返ったのが『見返り柳』と称される由来でございます。

ただ、実際に柳がありました場所は山谷堀脇の上手であり、道路整備や区画整理といった都市の変貌に伴いまして、現在の場所に移されたそうでございます。

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↑ちょうど石碑の後ろ側に1本の大きな柳がございますが、もちろん当時の柳ではございませんで、大震災で焼けたりしては植え替えられ、現在の柳は6代目だということでございます。

柳の木に日本人がしっとりした情感を抱きますのは、昔も今も変わる事はございません。

↓また、石碑の脇には台東区教育委員会の説明パネルが設置されております。

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遊郭関連の歴史を説明する、『教育委員会』の姿勢を粋に感じましたと同時に、『遊郭』があったという事実を『地域の歴史』として真面目に受け止める姿勢が、哀しみを抱いて他界なされた若き遊女たちの供養にもなると、私はとても心地良い思いがいたしました。

なぜならば…
浄閑寺に投げ込まれる、亡くなった遊女たちに付けられた『戒名』を読んだ時…!

『○○院○○○売女』

何ということでございましょうか…
生きて地獄、死してまで、なお『売女』などと卑劣な名を付けられてしまったのでは、あまりにも酷過ぎます。

『売女』とは何事か!
私は怒りに震えました。

時が経ち、こうした『教育委員会』の心意気に、思わず目頭が熱くなってしまいました。



遊郭のメイン通りへは『吉原大門』の交差点を、ガソリンスタンドの右側の道に入って行くのですが、この道はなだらかなS字を描いておりまして、これは昔の吉原時代そのままの道なりでございます。

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道がS字になっておりますのは『目隠し』のためでございまして、遊郭への出入りが吉原大門(大通り)から丸見えになるのを防ぐという効果がございます。

このようにS字にしてしまえば、通りが丸見えになることはなく、客は安心して遊郭を歩くことができたのかもしれません。


何の変哲もない普通の道路(交差点)ですので、『吉原大門』という標識がなければ間違いなく素通りしてしまうことでしょう。

それくらい、現在のこの地に『昔の吉原』の面影はございません。

『見返り柳』は、本来あった場所から『吉原大門交差点』へ移されておりますので、これも本来の吉原の姿とは異なります故、あえて悪く申しますれば歴史に手を加えてしまった…ということになる。

しかしながら、そこまでしてでも歴史の断片を後世に残そうとしたのでは…という具合に、私は好意的に見ることにいたしました。

とは申せ、このS字道路を入ってメイン通りに出て行きますと、夥しくソープランドの看板ばかりが目立ちます。

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現在でも147店舗(最盛期には250店舗)もある日本一のソープ街。

この世に『吉原』という地名は無くなりましたが、『遊郭』としての性質はこの地に受け継がれているのであると、あらためて実感することができました。

私が訪ねた日、私と同じように『吉原大門』の標識にカメラを向け、『見返り柳』の石碑に見入っている人たちがおりました。

その人たちは私より先に『S字の道路』を入って行きましたが…
いったい、どんなことを思いながら歩いていたのでございましょうか。

きぬぎぬの うしろ髪ひく 柳かな

見返れば 意見か柳 顔をうち


by 桜川

吉原 遊郭 見返り柳 (其の二)

【雑草ポエム 第656話】

吉原遊郭の遊女を供養する『浄閑寺』という名のお寺がございますが、この寺は浄閑寺にあらず、『投込寺』であるという、あたかも胸を突かれるような名前のほうが歴史的にも有名なのだそうでございます。

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吉原遊郭の遊女が(何らかの事情で)亡くなりますと、その亡骸は全て浄閑寺に持ち込まれたそうでございますが、それは、単に吉原から1~2キロと最も近い寺だからであるとのこと。

そうした遊女の霊を慰めるため、新吉原総霊塔が1793年に建立されまして、現在の塔は1929年に改修されたものであるらしい…。

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塔の一角には…、遊女の無念を表した句が刻まれておりました。

『生まれては苦界し、死しては洗閑寺』

1855(安政2)年に大震災があった際、吉原遊郭の大勢の遊女が投げ込み同然に葬られたことから、『投込寺』とも呼ばれるようになったそうでございます。

浄閑寺に埋葬された遊女は2万人を超え、その平均年齢は22歳弱…、そのどの女性も粗末なかっこうでムシロに巻かれていたという話を聞いた時、私は胸が締め付けられる思いがいたしました。

お寺なので、もちろん明るい場所ではございませんで、『空気がよどんでいる』と感じる人も少なからずいるそうでございます。

人の死を悼み、供養する場所だからこそ、この世とあの世が交わっているのかもしれないな…と、私は静かに目を閉じました。

私が訪ねたのはとても寒い日曜日でございました。
にもかかわらず、私がいた僅か10分程度の間に何人かやってきて、総霊塔の前で手を合わせておりました。

やはり、女性が多かったように思います。
遊女の苦しみを、同じ女性だからこそ感じることができるのだと悟りました。

それにしても、埋葬された遊女の平均年齢が22歳弱というのは言葉を失うばかりでございます。

人生をあきらめたのだろうか…、こんなものだと開き直ったのだろうか…、それとも、最後までもがき苦しんで死んで逝かれたのでございましょうか。

浄閑寺を出て浅草方面に歩いておりますと、同じ年頃の女性がいやでも目に入ってしましますが、何だか眩しく見えてしまうのは気のせいでございましょうか。

私は『22歳…、22歳…』とつぶやきながら、吉原大門交差点(見返り柳)へ向かいました。

by 桜川

(次回 其の三へ続く…)

吉原 遊郭 見返り柳

【雑草ポエム 第655話】

私等の年代では、出生から大人へ成長する過程におきまして、『男のくせに…!』という言葉を、よく躾の意味で使われてきたものでございます。

男は女を守るのが当たり前、男は女より強くなければいけないものだと、否応無しに思い知らされておりましたのは、おそらく私だけではございますまい。

しかしながら…

ある日、二枚の恐ろしい浮世絵を目の当たりにした時から、私の心ははっきりと変わっていったのでございます。

その浮世絵とは…


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シャレコウベの中で息づく、素っ裸の下半身を何の恥じらいもなく大きく広げた女性の浮世絵…。

その中心部(女性の恥部)に向かい、まるでアリのように小さく描かれた男たちが千両箱を抱えつつ、ズラズラと股ぐらに吸い込まれて行く光景が描かれている作品と、汗水流して一生懸命働いて作った米俵を、やはり女性の恥部へせっせと運ぶ愚かな男の姿を描いた作品でございます。

健全な男性でありますれば、この絵を見れば思い当たる節も多々あり…
故に、いくら頑張っても男は女に勝てる訳がないと、この時はっきりと悟ることができたのでございます。

私はこの歳になり、今更ながらではございますが『遊郭』というものの歴史を紐解いてみたいと思いまして、最も身近に存在いたします『愚かな男と哀しい女』の微かな面影を訪ねてみることにいたしました。

2月の中旬、向かった場所は東京都台東区千束四丁目…

この『千束(せんぞく)』という地名でピンとこない方でも、『吉原』という元の地名でありますれば通りが良いかと思います。

全国的に有名な『吉原』という地名は、1966年の風営法改正と共に消え去りましたが、実際に足を踏み入れてみますと、現在でもそこかしこに『吉原遊郭』としての名残らしき物を垣間見る事ができました。

それは…

物悲しくも哀れな、男と女のHistoryなのかもしれません。

by 桜川

(次回 其の二へ続く…)
プロフィール

桜川 久慶

Author:桜川 久慶
雑草ポエム、書籍化することができました。

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