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たんぽぽのうた

 庭に咲いた小さなたんぽぽの花。

 時が経ち、元気な黄色い子供たちも大きくなり、やがて白くて大きな綿帽子に成長いたしました。

 そう 今日は成長した種の子たちの巣立ちのときなのです。

 『おかあさん ありがとう』

 『おかあさん さようなら』

 一人… また一人と、種の子たちは元気よく母親から巣立って行きました。

 『気をつけて行きなさいよ… さようなら…』

 見送るお母さんの目に涙はなく、むしろ大きく成長した我子たちを、実に誇らしげに見送っているのです。

 全ての種の子たちが離れていった…と 思いきや!

 『いやだよ… いやだ。 ぼくぜったいにお母さんから離れないからね!』

 たった一人だけ、種の子がダダをこねて離れようとしてくれません。

 『どうしたの? みんな巣立っていったのよ』

 おかあさんがいくら説得しても 説明しても

 『いやだ…、知らないせかいになんか行きたくないもん…、行くもんか!』

 種の子は泣きじゃくり、お母さんにしがみついて離れようとしません。

 『こまった子ねぇ…』

 すると、おかあさんはその子の頭をなでながら…

 『うんうん、わかったからもう泣かないで。 行かなくていいから、おかあさんのそばに ずうっといなさい』

 『ほんと?… ほんとにずうっといていいの?』

 おかあさんは やさしくうなずいてあげました。

 『おかあさん、ありがとう…』



 やがて夜になり 大きなお月様がたんぽぽの親子を優しく照らしてくれました。

 『今夜はきれいなお月様ねぇ… おかあさんもねぇ、親から巣立ったときの前の夜は こんな大きなお月様がでていたわ』

 種の子は黙ってお月様を見上げました。

 『次の日にね… みんなと一緒に風に乗ってね、晴れた青い空に向かって舞い上がったの。 それは…おかあさんとお別れするのはとても悲しかったけど、でもね、あの広いお空の向こうには きっと素敵な夢があるって思うとね、もうワクワクドキドキしたものよ』

 種の子は まだ黙ってお月様を見ています。

 『色々なところに流されていって 色々な怖い思いもしてきたのよ』

 種の子は ピクッと反応し、マジマジとおかあさんの顔を覗き込みました。

 『虫やカエルに食べられそうになったり、排水溝に落ちて流されそうになったりしたこともあったわ』

 種の子は ヒシっとおかあさんにしがみつきました。

 『でもね…、そのたびに 風さんがやさしく吹いてくれて、わたしを助けてくれたのよ。 風さんはいつも私をまもってくれたわ。 そしてね、日当たりがよくって 一番安全なこのお庭に運んできてくれたの』

 おかあさんは そういい終わると すこしからだ全体を傾けはじめました。

 『おかあさん、どうしたの… ねむいの?』

 『ううん、そうじゃないの… そうじゃないのよ…』

 たんぽぽは、役目を終えると茎だけとなり、やがては枯れて土に抱かれ、そのまま永眠するものでございます。

 『おかあさん、ごめんね… ぼくがいるから、あたまが重いんだね… ごめんね』

 『だいじょうぶよ…安心なさい。 ここの庭はすばらしいのよ。 私はここのきれいな空気と新鮮な水をたくさんもらってね、そして太陽さんにいっぱい生きる力をもらって大きくなったのよ』

 種の子は また黙ってお月様を見上げました。

 『私をそだててくれたお母さん ありがとう。 風さん ありがとう。 お庭さんありがとう。 お水さん ありがとう。 そして太陽さん 本当にありがとう』

 お母さんは そう言いながら種の子の頭をなでました。

 『お母さんはね、今まで 本当に幸せだったわ…』

 種の子は… ただ黙ってお月様を見ておりました。



 やがて…

 東の空が白々と明るみをおびてまいりまして、 太陽の先端が顔をのぞかせはじめると同時に、 フワッと やわらかな朝の風が吹いてまいりました。

 種の子は お母さんの目を見ながら微笑みました。

 お母さんも 種の子を見ながら優しく微笑んでいます。

 そして… 

 まるでやさしく結んでいた手と手をゆっくりと離すかのように…

 種の子は すぅ~っとお母さんから離れました。

 さよならの言葉も、手を振るしぐさも無く、ただお互いに見つめあって、微笑みあいながら 離れて行きました。

 種の子が いよいよ見えなくなった時、 おかあさんの目から 一滴の涙が零れ落ちました。



 茎となり、やがて枯れた たんぽぽのお母さんは、そのまま土に抱かれて幸せそうに 永久の眠りにつきました。

 お母さん ありがとう 

 朝風さん ありがとう 

 お庭さん ありがとう

 お水さん ありがとう

 太陽さん 本当に… 本当にありがとう。

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大鵬さんのおかげです

 私の心に輝き続ける素晴らしき、かつ偉大な人物…

 元横綱の大鵬さん(納谷幸喜氏)が力尽き、ついに逝ってしまいました。

 現役時代は大横綱の大鵬幸喜…、これは異論が出るところではございますが、私の中では『戦後最強』ではなく、『大相撲史上最強の力士』であったと、今でも信じて疑うことはございません。

 横綱大鵬は強いだけではございませんで、何よりその人間性が素晴らしかった。

 スピード出世を果し、その天才的な相撲の取り口を評価され、彼はいつしか『天才』という言葉をほしいままにしておりましたが…

 『オレは天才じゃない、努力家なんだ!』

 天才と呼ばれることを極力嫌い、事実、師匠の二所ノ関親方から受けたスパルタ指導はハンパな物ではなく、それに耐えての増長であるが故に、天才という言葉を忌み嫌っていたという話は有名でございます。

 若手の育成にも積極的であり、粋のいい後輩を見つけては率先して胸を貸し、その誰よりも一番稽古をこなしていたのが最強横綱の大鵬さんでございました。

 相撲界で一番強い横綱が、最も稽古量が多いのですから負ける理由がございません。

 六連覇(年間完全制覇)という偉業を二度も達成できたのは、この人の努力を考えますれば当然のことだと思います。

 無論、一門の後輩達からも心から尊敬され、彼らが大関や横綱に昇進した際、決まって出てくる第一声は…『大鵬さんのおかげです…』でございます。

 二所系(二所ノ関一門)では特に可愛がっていた玉乃島(後の横綱玉の海)との初対決で、玉乃島の外掛けを喰らって土俵の中央に背中から倒されてしまった大鵬さん…。

 玉乃島は恐縮しながら大鵬さんの手を取り立ち上げますと、その場でペコリ…と無言のまま頭を下げました。

 大相撲では自分が世話になった兄弟子に勝つということは『恩返し』という意味であり、玉乃島は初対決で立派に恩返しをしたのです。

 その後、東西の支度部屋にそれぞれ戻った両者…

 勝った玉乃島は風呂場に向うことも無く、その足で大鵬さんのいる東の支度部屋へ直行し…『大鵬関、ごっちゃんでした…』と、また深々と頭を下げたのです。

 『おう シマ、 強くなったな!』(大鵬)

 『本当に… おかげさんで…』(玉乃島)

 これが… この心こそが、相撲道の極意たるものでございます。



 そしてもう一人…

 同じ二所系には『猛牛』と恐れられる『琴櫻』がおりましたが、武器の強烈な『ぶちかまし』を恐れてしまい、なんと稽古相手が逃げ回るという事態に頭を抱えておりました。

 『あの頭突きをまともに喰らっては、稽古場で身体がぶっ壊れてしまうわい』

 やむなく一人で『てっぽう柱』を相手に頭突きの訓練を繰り返す琴櫻でしたが…

 『よおし、来いや!』

 土俵の中央で両腕を広げ、快く胸を貸してくれた人がおりました。

 その人こそ、二所ノ関一門の大統領、大鵬さんでございます。

 『来いや、この野郎!!』(大鵬)

 『あ… ありがとうございます!』(琴櫻)

 琴櫻は躊躇せず、『ドォーン!』と大横綱の胸へ飛び込んで行きました。


 強くなり、晴れて横綱昇進が決まった日…

 琴櫻は人目も憚ることなく大粒の涙を拭いながら、記者会見の席上での開口一番…

 『大鵬さんのおかげです…』

 私が伝え聞きましたこの『美談』は、おそらく一生忘れることができないでしょう。



 大鵬さん、安らかに眠ってください。

 今の大相撲界があるのも…

 そして、私が大相撲を愛することができたのも…

 大鵬さんのおかげです。


 謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

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ヨイトマケの唄

 『ヨイトマケ』という単語自体が、肉体労働者に対する差別用語でございます。

 よいっと‐まけ(巻け!)

 重い物を滑車で上げ下ろししたり、綱で引いたりする動作を、大勢で一斉にするときの掛け声であり、転じて、そのような肉体労働(主に地固めなどの仕事)や、土方(土木建築業)を日雇いでする人たちを蔑む意味合いで使われることが多かった時代。

 この歌は、美輪明広氏が幼少時代、一緒に育った友人の亡き母を回顧する歌であり、主人公の過去には幼少時、母親の職業(日雇い労働者)がきっかけで『いじめ』を受けた悔しさなどが多々折り込まれているものでございます。

 やむ無き事情で男たちに混じり、厳しくて辛い肉体労働(土木作業)を強いられる母親の姿を見る子供。

 それでも我が子を養うために、汗水たらして『エ~ンヤコ~ラ~』と歌いながら一生懸命に働く母親の姿を見る子供。

 『母ちゃんの姿を見た時に、泣いた涙も忘れはて、帰って行ったよ学校へ』

 この歌が発表されたのは昭和三十九年…、私が生まれた年でございます故、この頃の時代のイメージが手に取る様に解ります。

 昔の子は、いじめられたくらいで『死』を選択するようなバカはおりませんでした…が、しかし、今時の子供は見習うべき親の立派な標本が、いったいどこにあるというのでございましょうか。



 『ヨイトマケの唄』 作詞・作曲・歌 美輪 明広


 父ちゃんの為なら エンヤコラ

 母ちゃんの為なら エンヤコラ

 も一つおまけに エンヤコラ


 今も聞こえる ヨイトマケの唄

 今も聞こえる あの子守唄

 工事現場の ひる休み

 たばこふかして 目を閉じりゃ

 聞こえてくるよ あの唄が

 働く土方の あの唄が

 貧しい土方のあの唄が



 子供の頃に 小学校で

 ヨイトマケの子供 

 きたない子供 と

 いじめぬかれて はやされて

 くやし涙に くれながら

 泣いて 帰った道すがら

 母ちゃんの働くとこを見た

 母ちゃんの働くとこを見た


 姉さんかむりで 泥にまみれて

 日に灼けながら 汗を流して

 男にまじって 綱を引き

 天に向かって 声あげて

 力の限り 唄ってた

 母ちゃんの働くとこを見た

 母ちゃんの働くとこを見た


 慰めてもらおう 抱いてもらおうと

 息をはずませ 帰ってはきたが

 母ちゃんの姿 みたときに

 泣いた涙も 忘れはて

 帰っていったよ学校へ

 勉強するよ と 言いながら

 勉強するよ と 言いながら


 あれから何年 たった事だろ

 高校も出たし 大学も出た

 今じゃ機械の 世の中で

 おまけに僕は エンジニア

 苦労 苦労で 死んでった

 母ちゃん見てくれ この姿

 母ちゃん見てくれ この姿


 何度か僕も ぐれかけたけど

 やくざな道は ふまずにすんだ

 どんなきれいな唄よりも

 どんなきれいな声よりも

 僕をはげまし 慰めた

 母ちゃんの唄こそ 世界一

 母ちゃんの唄こそ 世界一


 今も聞こえる ヨイトマケの唄

 今も聞こえる あの子守唄

 父ちゃんの為なら エンヤコラ

 子供の為なら エンヤコラ




 国民が見守る紅白の舞台におきまして、放送禁止用語をそのまま受け入れ、放送を許可したNHKには感謝したい。

 体裁の良い言葉だけでは、通用しないものも沢山あるということを、もっと多くの人たちに解っていただきたいと思いました。


 父ちゃんの為なら エ~ンヤコラ

 子供の為な~ら エ~ンヤコラ

 もひとつおまけに エ~ンヤコラ




 【写真・紅白歌合戦での三輪明広】

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人生 先発完投(村田兆治投手)

 マサカリ投法…

 それは、マウンド上にて『マサカリ』のように足を跳ね上げ、豪快に球を投げ下ろす独特の投球フォームであり、元ロッテの村田兆治投手がその代名詞的存在であったということは、今更申し上げるまでもございません。

 この村田投手の素晴らしさにつきましては、私ごときが改めて説明する意味も必要も無に等しいのではございますが、そうした中でただ一つ、昨今の自分に対する『教訓』とさせていただきたいエピソードがございました。

 それは…

 日本で初のドーム球場(東京ドーム)元年となりました昭和六十三年のパ・リーグ開幕戦『日本ハムvsロッテ』の事でございます。

 日本ハムの先発は、前年度最多勝をマークした新進気鋭の西崎投手、対するロッテの先発は『マサカリ投法』の鉄人、村田兆治投手でプレーボール!

 試合は緊迫した投手戦となり、終盤まで二対二の同点で動かず、まさに『手に汗握る』好展開となっておりました。

 しかし、試合が動いたのは九回表、ロッテの攻撃!

 ツーアウト 一塁・二塁で、バッターは新外国人で四番打者のマドロック選手。

 西崎投手は軽快に二ボール二ストライクと打者を追い込み、ラストの『決め球』として投じた第五球目、ド真ん中の切れ味鋭いストレートが、田村捕手のミットに『ズバーン!』と吸い込まれたのでございます!

 マドロック選手は見逃したのではなく、あまりの切れ味鋭いストレートに対して手が出なかった…。

 『三振だ!』

 誰もがそう思ったその瞬間、なんと主審のジャッジは…

 『ボール!』

 受けた田村捕手が即座に激怒し、ミットをホームベースへ叩き付けて猛烈に抗議、さらに西崎投手までもがマウンド上で暴言を吐く!

 『そんなバカな!、 どこを見ているんだ、アンパイア!』

 取り乱す西崎投手…

 その光景をベンチで見ていた村田投手は…『オレの勝ちだ…』 と一言呟き、不敵に笑っていたそうでございます。

 いったい なぜ…。

 あのミスジャッジで納得できないのは当然であり、田村捕手やベンチの猛抗議は妥当なものでございます。

 しかし、肝心の 『投手』 が乱心してはいけません。

 怒ったところで判定が覆る道理はなく、結果的には審判を敵に回すことにもなりかねないという事実に気がつかなければ、プロの投手として失格でございます。

 『投手がジャッジの不服を口にした時は、それだけ自分の状態がアップアップだという 何よりの証明なんだ!』

 村田投手は試合後の(勝利者)インタビューで、そう吐き捨てたのでございます。

 村田投手の本当に素晴らしい所…

 それは、長い野球(投手)人生の中におきまして、一度たりともアンパイアのジャッジに不平不満を唱えたり、態度に出したことがない…ということでございます。

 怒ってはイカン!

 私も短気であるがゆえに、数多く怒って他人を傷付け、己自身も傷付いて参りましたが、怒ったところでいったいどんなメリットがあったのでございましょうか。

 幾度思い返してみましても、怒って何かが良くなったことなどございません。

 何を今更とは思うのですが…

 怒ると、叱るとでは意味が違う。



 怒ってはイカン…

 絶対に… 、怒ってはイカンのです。


 残りの人生を…

 すっきりと完投するためにも。

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忍ぶ 不忍(しのばず) 無縁坂

 無縁坂(むえんざか)

 1975年、さだまさしさんが『グレープ』時代、その最後にリリースした名曲として知られており、東京都台東区池之端一丁目から文京区湯島四丁目へ登る、現在も実在する目立たない坂道でございます。

 この歌が誕生した当時、まだ十二歳の幼き私には、この歌の真の意味など知る由もございませんでしたが、TVドラマの主題歌となっておりましたので、物悲しそうな歌として長く記憶に残っておりました。

 私は最近、とある理由からこの歌の奥深さを知るに至りまして、昨日、ふらっと『無縁坂』へ足を運んで参りました。

 無縁坂とは、『無縁仏』をイメージさせるものでありまして、事実、坂の上には行き倒れの無名の死者を葬る『無縁寺(現・講安寺)』があったことが、この呼び名の由来であると知りました。

 また、現在でも坂の左側の司法研修所(旧・岩崎弥太郎邸)は高い木々に覆われており、日中でも薄暗く、カラスの鳴き声も聞こえたりして、いかにも『無縁坂』という気配が漂っているような気もいたします。

 無縁坂の坂道とは… 、その坂道が、人生のたとえになっております。

 後ろを見る、というのは、過去を振り返る、という事でございます故、後ろを振り向くなという(主人公の)『母』の言葉は、過去を振り返っても仕方ない…と、我が子に言い聞かせているところでございます。

 無縁坂のこの歌詞は、さだまさしさんが幼い頃に書いた小説の冒頭を歌にされたものだそうで、その小説では『坂の上に父親の家があった』という続きがあったそうでございます。

 坂道を…、小さな子供の手を引いて…、ため息をつきながら子供の父親の家に向かう女性。

 どうも普通の夫婦ではないようでございます。

 私は無性に知りたくなった…
『忍ぶ 不忍(しのばず) 無縁坂』という本当の意味を。



 主人公の言う『僕の母』とは、独り淋しく死んでいった、無名の行き倒れの女性の一人に数えられていたようで…(憶測です)。

 坂の下には不忍の池があり、その名はもう耐えられそうにない身投げの名所のような霧を放っているのは何故でございましょうか。

 耐えられるか,いやもう耐えられそうにないか…という、二つに引き裂かれながら、危うく存続している母の人生。

 『忍ぶ 不忍(しのばず) 無縁坂』 そういう危ういところで保たれた『かみしめるような ささやかな僕の母の人生』を感じ取り、少年の心で綴った詩であると私は思いました。

 『母はすべてを 暦にきざんで 流してきたんだろう 悲しさや苦しさは きっとあったはずなのに』

 悲しさや苦しさは明白にありましたが、それを不平不満のじゃじゃ漏れにせず、母は『ため息』の中に昇華し続けたのでございます。

 『運がいいとか 悪いとか 人はときどき 口にするけど めぐる暦は 季節の中で ただよいながら 過ぎてゆく』

 この少年の母は、不運だったにちがいない…ですが、それも一局の人生であり、月日はいつでも淡々と流れ、辛さ、淋しさは、時として乱暴に肌を刺したりいたしますが、それでも生き続ける…、生き続けなければならないと思うのが、その当時の母親でございました。

 自分の愛する者(我が子)への、優しさだけを生きる価値として…

 『うっせーよ、このガキ!』と子供を怒鳴り、容赦なくひっぱたくヤンママとは対極の、これは一時代前にはどこにもいた、何より子供にだけ優しさと正しさを注いでくれる『忍ぶ不忍無縁坂』型の母親でございます。

 ふっ…と、そういう母親の姿を『かみしめ』たくなる『ささやかな 僕の母の人生』というものが、あの一時代前には沢山あったはずなのに…。

 夫(つまり子供の父親)への不平不満をぶちぶちと子供に言い、自らの生活を省みることもなく、人生観を模索することもなく、大切な我が子を自らの不平不満の捌け口にしようとする、そんな昨今の母親(もどき)には…見習ってもらいたいことも多々ございます。

 この無縁坂を歩きながら、我が母の我慢に我慢を重ねた『ささやかな人生』を思い、この歌と重ね合わせますれば…

 晩秋の空は高く、心の色は青かった。


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桜川 久慶

Author:桜川 久慶
雑草ポエム、書籍化することができました。

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